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偽られた「改正限界説」 変節学者の末路


人とは実に弱いものである。自分の力を遥かに凌ぐ大きな圧力を目の前にすると、今まで築いてきた地位を守ろうと保身に走り、これまでの持説を取り下げ、屈してしまうことがある。取り下げるだけならまだしも、正しい主張を覆し、偽りの説を流布させる者もいる。社会的に影響の少ない分野ならこうした変節は問題にならないが、国家を論じる憲法論議において偽りが広まれば、後世に生まれる者はたまったものではない。これでは、誇りも愛国心も保たれるはずがないからである。だが、不幸にも我が国の現状はこのような偽りの上にある。占領憲法が施行された当時、これは「無効」であると学界では一致していた。しかし、のちに、多くの学者はGHQの圧力を恐れ、自分の地位を守ろうとして持論を覆し、変節したのである。下記の南出先生の文章をご覧いただきたい。

「最高規範・根本規範に抵触する改正が認められないのは当然のことである。この論理は國體論からしても当然のことではあるが、憲法論においてもこの論理は肯定される。すなわち、当時の憲法学界の支配的見解からすれば、占領憲法が帝国憲法の改正という形式をとり、また、占領憲法が明治典範を廃止した後に規範形式を異にする新たな法律として制定したという形態をとってはいるが、これは実質的には改正である。それゆえ、いずれも改正によっては変更しえない典憲の根本規範(規範國體)の領域にまで踏み込んで、その改正権の限界を超えてなされたものであるから絶対無効であることになる。帝国憲法下では、國體と政体の二分論を肯定する見解もこれを否定する見解も、概ね帝国憲法第一条ないし第四条は國體規定であるとして、國體の変更はできないとしていた。そして、その他政体の基本的な制度についても根本規範であって改正を許さないとの見解が支配的であって、占領憲法は、この改正の限界を超えて変更しようとしたものであるから、改正法としては無効ということになる。このことは、明治典範を実質的に『改正』した占領典範についても同様である。
 ところが、占領典憲が典憲として有効であるとした当時の政府とこれを支えた支配勢力はそれまでは典憲改正に限界があるとその全てが国是として主張していたにもかかわらず、保身のために変節して節操を売ってGHQの占領政策に迎合し、その暴力的強制を民主化などと礼賛した『敗戦利得者』であり『暴力信奉者』であった。そして、今もなお『暴力の切れ端』である占領典憲を典憲として有効であるとする輩はその無責任な配線利得者の後継者であり、その地位を保身するため、改正限界説を放擲し、あるいは詭弁を弄して有効であると強弁しているだけである。」

 人は弱い存在であるため、保身に走ることもある。しかし、我が国のように大国に挟まれ、その辛辣な影響を被ってきた国が今後も存続し続けるためには、気概と志が必要不可欠である。つまり、いかなる暴力にも屈しないという精神があってこそ、我が国の存続は保障されるのである。

南出喜久治著 『占領憲法の正體』
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