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靖国問題と日本の再生

東京の靖国社には、大東亜戦争が終結する時に責任を負って自決された方やいわゆる、東京裁判、その他の軍事裁判で処刑された千余名の方々を「昭和殉難者」として合祀されています。
そして、靖國のご祭であるご英霊は、必ずしも軍人、軍属に限られていません。

 しかし、鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争では会津藩(今の福島県)は賊軍とされました。禁門の変では長州藩が逆賊であり、薩摩藩と会津藩は皇軍でした。それでいくと、靖国社や山口県護国社などでは逆賊も御祭となっているのに関わらず、他藩の逆賊は決して御祭とはなっていないのです。このような大義名分論による官賊差別を靖国神社が行い続ける限りは、日本人の魂を搖さぶるだけの力と根拠を持ち得ないままとなります。


皇道と武士道の忠義のために一命を捧げた「憂国の忠魂」に官賊の区別はないはずです。日清・日露以後の戦争においても、敵將や敵兵の亡骸に花を手向ける武士道精と怨親平等の理念が、どうして邦人殉難者にも発揮されないのでしょうか。会津藩の白虎隊など戊辰戦争の全殉難者や、明治黎明期における風連の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争などの憂国の全殉難者を靖國に合祀してこそ、日本精の真髄に回帰できるのです。

 これが実現しないのは、まさに「薩長史觀」による弊害ですが、「官賊差別」以上に「官民差別」があるのです。

国難に軍民、官民と臣民との区別はありません。ましてや大東亜戦争は、臣民の総力戦で、「銃後の守り」が戦争の主力部隊であったといえます。その銃後の守りが都市空襲や原爆で多大の被害を蒙った者全てが殉難者であることに変わりはありません。


 東京裁判史観やコミンテルン史観からの脱却を唱えるのならば、これらの歴史観の源泉である、占領憲法からの脱却として無效論を唱えなければならないことは勿論、明治維新における「薩長史観」からの脱却をはからねばならないのです。薩摩、長州、会津が歴史的和睦を行い、旧幕府、奥羽越列藩、西南戦争など殉国者の全てを靖国神社に合祀し、福島県護国社や鹿兒島県護国社、山口県護国社を初め全国の護国社と靖国社に普遍性が甦るとき、それが真正日本の再生への第一歩となるのです。


引用 : 南出喜久治 著 國體護持総論 第5巻 

原文はこちら(PCのみ)
國體護持塾 HP 國體護持総論 第5巻
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