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目先のものにとらわれてはいけません


我が国の本質を考える場合、その基軸となるのが國體であることは言うまでもありません。しかし、國體を御皇室、あるいは天皇と同一視することは単純化した見方であり、十分な理解に到達しているとは言えません。やはり、國體とは悠久の歴史の中で培われてきた国家の本能である、と理解すべきなのです。ところが、國體が悠久の歴史にあることを無視しようとするのが、占領憲法(日本国憲法)の「時効有効説」なるものです。この説は「占領憲法は国民が一度も『ノー』と言わなかったので承諾された」とする呆れた言い分です。我が国の悠久の歴史に時効を適用とするという、この発想自体いかがなものでしょうか。これに関して、南出先生は次のように考えておられます。引用します。
「(時効有効説とは)民法に規定する所有権の取得時効である二十年を経過したので、占領憲法は所有権(憲法としての地位)を取得するということであろう。しかし、規範國體の護持のために時効理論は存在するものであって、占領下における奇胎の占領憲法が施行された六十年程度の時間と、我が国の悠久の歴史と伝統とを比較して、奇胎の六十年の方に重きを置くという時効有効説は、恐ろしく無知な本末転倒の謬説であり、『似非時効論』である。時効の意味が解っておらず、民法レベルの時効期間を国法学のレベルにそのまま持ち込む暴論でもある。
占領憲法には憲法としての妥当性を欠き、暴力的に構築された法制度のままで原状回復がなされない状態での時間の経過に、憲法としての規範創造の効力はないのである。
なお、ここ(=時効説)には『五十年の間に日本国民が現行憲法に一度もノーと言わなかったということにおいて、これを承諾したという理屈が成り立つわけです』という発言もある。これは時効有効説のほかに、法定追認有効説なども主張しているかのようであるが、一体、現行の法制度において、占領憲法に『ノー』と言うことができる時効中断に関する正規の法的手続きがあるというのか。 
もし、それがなければ、時効中断の手続きと方法もない時効制度はありえないので、時効は永遠に完成しないことになり、時効有効説は成り立ちえないことになる。」
悠久のわが国の歴史を鑑みた場合、民法規定の時効なるものを持ち出すこと自体が不遜な行為であり、恥ずべきことなのです。そして、占領憲法に「ノー」を突きつける法手続きがない実情も考慮に入れると、「時効有効説」は的外れな謬説だと言えます。では、なぜこのような説を持ち出す人がいるのでしょうか。思うに、これも敗戦利得者の発想であり、戦後の空虚な物質的繁栄をもう一度享受したいという願望から来ているのではないでしょうか。我が国は国家としての筋を通さねばなりません。そのためには、稚拙な謬説に惑わされず、基軸を保ち、由緒ある國體を護持するしかないのです。  
参考図書 南出喜久治著 『占領憲法の正體』


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