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お父さんとお母さんを大切にいたしましょう。


意地の悪い指摘で恐縮ですが、高い地位と尊敬される立場にありながらも、人望のない人を時々見かけます。決して一様ではありませんが、そのような人の特徴を考えてみますと、個人主義的な人にありがちな、身近な人を踏み台にできる性格なのではないでしょうか。嫌味な指摘ではありますが、これらの人は誰にも感謝しないまま出世したと思われる節があります。しかし、感謝とは言っても、同僚や友人だけでなく、まずは両親への感謝がなければならないものです。これこそが人生を歩む上での基本なのです。たとえ、不十分な親であったとしても、望まれぬ生を授かったとしても、命を育んでくださったことへの感謝は無条件で行わなくてはならないと私は考えています。従って、親が年老いてくれば、今までの恩返しを必ずすべきなのです。こういった考えを私は南出先生から学ばせていただきました。以下、先生の文章を引用しました。参考になさってください。


「世界の人々は、世界における聖人や偉人、賢人とされる人々について、結果や成果のすばらしさだけを評価し、そのすばらしい結果や成果を生んだのであれば、その過程において親や家族を捨てても許されるとする傾向があります。『結果オーライ』という結果主義、成果主義による評価です。否、それ以上に、親や家族を捨ててでも、世界の為に生涯を捧げるのであればたとえ結果や成果が残せない場合でも努力自体がすばらしいことだとするのです。
例を挙げると切りがありませんが、キリストも釈迦も、マザー・テレサも野口英世も、みんな親を捨て家族を捨て結果や成果を出しました。少なくとも親とは隔絶した生活をしています。これらの人は、確かに悟りを開き、多くの人を救い、偉大な功績を残し立身出世したから良かったですが、誰彼でも成功するとは限りません。何万分の一、何億分の一の確率でしか成功しないのです。ところが、その功名に刺激されて、これらの人々の後に続こうとして、その何万倍、何億倍の人が、出家したり、奉仕や研究、事業などに没頭して、親を捨て家族を捨てているのです。
もし、出家などをして親や家族を捨てた人が、社会的に評価できる形で何らの成果や結果も残せなかったとしたら、どう評価するのでしょうか。いわゆる「プータロー」とどこが違うのでしょうか。
世の中の価値観が結果主義や成果主義に基づくとなると、不真面目な人間が親や家族を捨てることについて口実を与えることになり、家族や社会、そして国家の秩序が乱れることになります。そのためにも、このような結果主義、成果主義を否定して、世界の聖人や偉人、賢人などの評価基準を一から見直さなければならない必要があります。
その見直しをするための切掛けとして、二人の人物を比較してみます。それは、中江藤樹と野口英世の二人です・・・・。」

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南出喜久治 著 第二十五回[祭祀の道]「祭祀と孝養」から引用

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