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千座の置き戸 -第15回  天皇の赤子-3/3

毎月1日と15日に國體護持塾 HPに掲載しています
千座の置き戸 原文はこちら 
こちらのブログには読み仮名等をつけた物を掲載いたします。
 本日は最終回


足尾銅山鉱毒事件で農民のために奔走して議員を辞し、明治天皇に直訴した田中正造の行為を評価する一方で、山本太郎議員が今上陛下に手紙を手渡した行為を評価しないという、論理無視の喧(やかま)しい感情論を言う者も居ますが、そのような人たちは、田中正造の直訴状は幸徳秋水が書いたことを知っているのでしょうか。

 いずれにせよ、行為者の内心や思想は別として、相当の敬礼を守っているのであれば、現象面では、田中正造と山本太郎議員の行動に違いはありません。

 しかし、この両者に決定的な違いがあるのは、田中は、議員を辞して、誰でも可能な方法で直訴を行い、決して議員としての特権を行使して直訴したものではないのです。これに対して、山本議員は、園遊会参加者として特権を与えられ者が、その特権を利用して行ったということです。

 特権に便乗した行為であることを批判するのであれば当然に理解できますが、思想信条や手段方法だけによって峻別(しゅんべつ)できるものではないのです。

 虎ノ門事件を起こした難波大介(なんばだいすけ)の行為は、その外形的行為(犯罪行為)によって処罰されたのであって、もし仮に、難波大介が、田中正造と同様に書面によって相当の敬礼を守って直訴したのであれば、その内容が不敬罪に該当するものであっても、請願としては認められるべきであり、不敬罪としてのみ処断されるべきであるということになります。

 山本議員の行動のことで、「政治利用」という言葉が空虚に一人歩きしました。これについては、手紙を渡す行為自体が政治利用だとか、手紙を渡そうとしたことをマスコミが取り上げることを見越して行ったことがマスコミの利用を手段とした政治利用だなどの様々なことが言われましたが、このようなことは余りにも瑣末(さまつ)な議論です。

 よく考えてほしいのです。占領憲法こそが天皇を政治利用する構造になっていることを忘れてはならないのです。天皇は「国政に関する権能を有しない」とする象徴という美名の「傀儡天皇」の存在を認めることこそが政治利用の極地なのです。
 前にも述べましたが、占領憲法は、天皇を政治的アクセサリーとして利用した「お飾り天皇制」という特徴を持った「共和制憲法」を目指したものであり、天皇を政治利用することを本質とするものです。「臣民は天皇の赤子」とする帝国憲法と「天皇は国民の家来」とする占領憲法とでは雲泥の差があります。

 その根本的なところを批判せずに、個別の現象や人の行為を過大評価して、それが政治利用であるとか、政治利用ではないとかの議論をして大騒ぎするのは、占領憲法の効力論を論ずることなく、改憲だ、護憲だ、と有効を前提として大騒ぎしている構造と瓜二つの雛形となっているではないでしょうか。

 血盟団事件については、様々な評価に分かれていますが、祖国防衛権の行使という側面からすると、これを全否定することはできません。この事件を、祖国再生の行動原理の指針として捉えても、あるいは反面教師として捉えても、いずれでも結構ですが、血盟団事件を乗り越えなければ、祖国の再生はできないことを肝に銘じていただきたいと思います。
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