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千座の置き戸 第十一回 刑罰と体罰-4/5

毎月 1日と15日に塾HPに掲載しています
千座の置き戸 

こちらのブログにも転載いたします。
原文より仮名遣いを慣れたものに変え、一部読み仮名をつけています。

連載 千座の置き戸(ちくらのおきど)

           第十一回 刑罰と体罰

                    南出喜久治(平成26年9月15日記す)

つみとがを おかせしものを みそぎにて しおきしてこそ みだれととのふ
(罪咎を犯せし者を禊にて仕置きしてこそ秩序乱れ整ふ)


【部分社会の法理】

 部分社会の法理という理論があります。これは、大学や政党などのように独自の規範を持つ団体の内部紛争等を解決するには、その団体の自主的な判断を尊重すべきであり、裁判所が判断すべきではないという理論で、その判例も存在します。
 この理論は、裁判所がどこまで介入して判断できるかということについてですが、その背景には、社会構造が重層的なもので雛形の構造になっていることの認識があります。家庭、社会、国家などの構造が同質であれば、国家の秩序維持に有形力の行使としての刑罰や強制力のある様々な行為が必要になっているのと同様に、学校でも家庭でも秩序維持のための一定限度の有形力の行使は必要になってきます。
 有形力の行使であっても、許される行為と許されない行為があることは当然のことであり、国家による刑罰は、まさに許された有形力の行使であることに違和感を感じないのであれば、家庭や学校での体罰についても同様です。刑罰は許されて体罰を許されないと思うのは、合理主義による二重基準の矛盾に気づかないからです。
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