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千座の置き戸 第十一回 刑罰と体罰-3/5

毎月 1日と15日に塾HPに掲載しています
千座の置き戸 

こちらのブログにも転載いたします。
原文より仮名遣いを慣れたものに変え、一部読み仮名をつけています。

連載 千座の置き戸(ちくらのおきど)

           第十一回 刑罰と体罰

                    南出喜久治(平成26年9月15日記す)

つみとがを おかせしものを みそぎにて しおきしてこそ みだれととのふ
(罪咎を犯せし者を禊にて仕置きしてこそ秩序乱れ整ふ)

【最高裁判所第三小法廷平成21年4月28日判決】

 児童に対する有形力の行使が、教育的進歩を目的とし、かつ、家族内秩序ないしは学校内秩序を形成し維持する効果が伴なうもので、その手段と方法が相当である場合は、法的に許容された行為ものです。これには、非違行為が行はれた後において、再発防止のための制裁として課すことを本人に告知してなされる「狭義の体罰」と、非違行為を制止するためにリアルタイムで行われる「教育的指導」を含む「広義の体罰」とがあります。

 ところが、有形力の行使について、それが合法か違法の区別をすることなく、有形力の行使の一切を何でもかんでも「体罰」だと喧伝(けんでん)するマスコミによる洗脳の嵐が吹きすさんでおり、これまで「体罰」事件だとして報道された事件の殆どは、体罰ではなく単なる「傷害」事件でした。合理主義の思想によって本能を悪だと決めつけ、体罰=傷害=悪という図式を完成させるためには、本能原理に基づく体罰の全面否定することが必要であり、これによって合理主義の完全勝利による思想支配が確立できるからです。

 体罰とは、何らかの非違行為に均衡した事後的制裁ですから、国家に刑罰があるのと同様なのです。学校でも家庭でも、これは国家の「雛形」であり、「部分社会」ですから、これらの秩序を維持するために有形力を伴う体罰や指導が認められなければなりません。ところが、これを全否定するのが合理主義思想ですので、体罰の行使が禁止されている教師が、有形力を伴う教育的指導を行うことも禁止しようとする動きが出てくるのは当然です。そして、有形力を伴う教師の教育的指導も禁止されている体罰であると主張した訴訟が提起されましたが、これについて最高裁判所は、教師の教育的指導としての有形力の行使が認められることを次のとおり説示(せつじ)したのです。

「B(児童)は、休み時間に、だだをこねる他の児童をなだめていたA(教員)の背中に覆いかぶさるようにしてその肩をもむなどしていたが、通り掛かった女子数人を他の男子と共に蹴るという悪ふざけをした上、これを注意して職員室に向かおうとしたAのでん部付近を2回にわたって蹴って逃げ出した。そこで、Aは、Bを追い掛けて捕まえ、その胸元を右手でつかんで壁に押し当て、大声で「もう、すんなよ。」と叱った(本件行為)というのである。そうすると、Aの本件行為は、児童の身体に対する有形力の行使ではあるが、他人を蹴るというBの一連の悪ふざけについて、これからはそのような悪ふざけをしないようにBを指導するために行われたものであり、悪ふざけの罰としてBに肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。Aは、自分自身もBによる悪ふざけの対象となったことに立腹して本件行為を行っており、本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても、本件行為は、その目的、態様、継続時間等から判断して、教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。したがって、Aのした本件行為に違法性は認められない。」
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