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おさなここち 『お風呂』-2/3

うけひのもり学園で子供向けに書いていただいている おさなここち 大人が読んでも非常に勉強になります。
今日は2回目。


おさなここち(幼心地)

       その十四 お風呂

ところが、このように自然をおそれうやまう心は、世界の人々に共通した心ですが、人の頭で理屈をこねて考え出した神様や仏様だけを拝めて、祖先や自然を無視するか軽視するような宗教を信じることによって、だんだんとその素直な心が失われてきたのです。

 皆さんは、自然全体についてもそうですが、もっと素直な心で水の有り様を見つめてください。言葉も知らず、字も読めず、神様仏様のことも知らない人であっても、水が貴い物であることは日々の生活から受ける実感で素直に理解できることです。理屈で考えた結果ではありません。だから、水は、貴い物であり聖なる物なのです。人は、最も身近にある水に、その強い力を見出して感謝(ありがたい)と畏敬(おそれうやまう)の気持ちが起こります。生き物を生み育てる力がある水であればこそ、人の罪や穢れを祓ってくれる力があるのです。

 ですから、古今東西、新たに生まれ変わるとき(再生)や、罪・穢れを洗い落とすとき(禊ぎ)には、水を使ってそれを実践してきました。ヒンズー教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など、世界の宗教のすべては、このようなときには、いつも水を使います。

 つまり、水による儀式は、すべて宗教に共通するもので、すべての宗教を越えた貴い物と言えます。それは、水の儀式が「祭祀」だからです。祭祀というのは、祖先の命を自然の営みに支えられて今の私たちが受け継いでいることへの感謝と畏敬を形にした実践なのです。すべての宗教を束ねているのが祭祀の働きです。

 ところで、神道では、滝に打たれたり、海や川に身を浸してけがれを祓う禊ぎをしたりしますし、神社の境内にある手水舎で手洗いや口すすぎも禊ぎとして行います。これが「斎戒沐浴」(さいかいもくよく)の原型となっています。斎戒沐浴というのは、祭祀を行う前には、酒を飲むことを止め、肉とか臭いや刺激の強い食べ物を断って、清浄な場所で物忌みし(斎戒)、髪の毛や体をきれいに洗って身を清めること(沐浴)です。
 仏教でも、寺院には沐浴のための温堂とか浴堂などが造られて、仏教を信じていない人でも貧しい人や病気の人に施すことを昔はしていました。

 また、支那(中国)にもありましたが、我が国でも、湯沐邑(とうもくゆう、ゆのむら)というものがありました。『日本書紀』にも、壬申の乱について書かれているところに、美濃の国(現在の岐阜県)には大海人皇子(皇太子)の直轄領である湯沐邑があったことが述べられています。湯沐邑というのは、字から想像できると思いますが、今で言えば温泉集落(村)です。これが皇族の直轄地となっているのは、斎戒沐浴が祭祀(神事)であることから、それを執り行う場所として重要視されたためです。
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