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おさなここち 『お風呂』-1/3

うけひのもり学園で子供向けに書いていただいている おさなここち 大人が読んでも非常に勉強になります。
今日から3回に分けて掲載いたします。


おさなここち(幼心地)

       その十四 お風呂

南出喜久治
平成22年4月8日記す

 今日は、お風呂の話です。みなさんは、お風呂が好きですか。ごく稀に、時と場合を問わず大嫌いだという変わった人も居ますが、お風呂に入れば気持ちがよくなるので、大抵の人は好きだと思います。

 お風呂に入る習慣は、大昔からあります。古くは、沐浴と言って、頭から水や湯をかぶること(沐)や、水や湯の中に体をつけたり体を洗ったりすること(浴)です。これは、広い意味で人と水との関係ですから、人は水とともに歩んできたもので、水とは切っても切れない関係にあります。
 水がなければ、人だけではなく生き物は命を保つことができません。飲み水だけではなく食べ物には水分が含まれていますので、食べ物を通じて水を取り入れます。そして、体を洗ったり、作物に水を撒いたり、物を洗ったりなどして、生活の殆どが水と深く関わっています。

 水は人を育み、人は水に親しむというように、水と人とは親と子のような関係ですが、その反面、人は水の中で生活をしない陸上の動物であるため、海や川や湖で溺れて死ぬこともあり、本能的には水を恐ろしいものと感じています。
 また、水は、どんな容器にも馴染んで形を変え、雪や氷(個体)、水(液体)、湯気(気体)というように姿を変えます。さらに、その水は、岩に穴を開けたり砕いたりする力を持つ不思議な存在です。姿や形が変わっても本質的には変わらないものを聖なるものと言います。ですから水は聖なるものなのです。

 親しさと恐ろしさ、これが人と水との関係です。人は、山や川、林や森、海や湖などの自然の物から恵みを受けることへの感謝と親しみを抱くだけではなく、火山噴火、自然発火の山火事、地震、津波、崖崩れ、雪崩、暴風雨、雷など人間の傲慢さに対する自然の怒りにも似た天変地異を恐れます。それが人と自然との本質的な関わり合いなのです。
 欧米の思想のように、人は自然と敵対するもので、人は自然を征服するためにあるものだという傲慢な考えでは人類は不幸になります。自然を「おそれうやまう」(畏敬)という心がなければなりません。自然を恐ろしいと感じるのは、自然には人が持っていない余りにも大きな力があるからで、その力こそが生命力の源であると受け止め、その力を人に利益をもたらす方向へと変えてもらって、人にもその力を分け与えてもらうことを祈るのです。
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