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千座の置き戸 -第九回 ジキルとハイド -3/5 

毎月 1日 15日とに公式ホームページに掲載しています。
千座の置き戸 8月15日掲載分をこちらにも転載いたします。

原文は こちら
ブログ用には原文に一部、読み仮名をつけたり 仮名遣いを変更したものを掲載いたします。



連載 千座の置き戸(ちくらのおきど)

           第九回 ジキルとハイド

                    南出喜久治(平成26年8月15日記す)

さかさまの まじはりあはぬ いひわけを わけずかたれば こころやぶるる
(逆様の交はり合はぬ言ひ訳を別けず語れば心破るる)

これは、理想かつ完璧な観念であると信じられた合理主義(理性論)は、醜さという最大の欠陥があり、争ひを繰り返して人類を幸福にせず、その究極には破綻と滅亡が待っていることを寓意するものだったのです。

 人間以外の動物は、自己保存、自己防衞、種族保存、種族防衞などの本能による忠実な生活をするために、生活するための必要最小限度の獲物を捕らえることはあっても、決して無益な殺生や姦淫、盜みなどをしませんが、人間だけは時にはそれを犯します。それこそが「人間らしさ」と云えばそのとおりですが、そのようなことをすると、外道、畜生、ケダモノなどと最大級のスラングで罵られます。そして、忠実に本能に従い品行方正な生活を営む動物たちに謂われなき中傷を浴びせ濡れ衣を着せるのは、霊長類だと自惚れる人間の滑稽さでもあります。人間だけに理性という「高尚なもの」が備わっているのだとしたら、人間だけが無益な殺生や犯罪をすることからして、その原因が「高尚な理性」に欠陥があるのだとすることが、それこそ理性的判断のはずです。

 ところで、このフランケンシュタインとその人造人間の末路は死による破綻でしたが、ジキルとハイドの場合も同じような破綻の末路が待っていました。
 ジキルは薬を飲んでハイドになり、おぞましい欲望を満足させてきましたが、その抑制ができなくなり、ハイドとしては悪の限りを尽くし遂に殺人を犯してしまいました。そして、そのうち、ハイドからジキルに戻る薬の効き目がなくなったり、逆に、薬を飲まなくても自然にハイドに変貌するような事態が起こるようになります。そして、ついにハイドの悪事が暴露され、ジキルに捜査の手が及んできたので、逮捕寸前にジキルも自殺するのです。理性の塊である人格破綻者の末路としては当然のことでしょう。

 追い詰められて自殺するのは、理性の働きです。本能に忠実に生きている人間以外の動物は自殺しないからです。病的現象としての自殺は、生命維持本能が低下したり壊れたりする現象ですが、覚悟の自殺の場合は、自殺することによる苦痛からの解放や自殺することの見返り(自己及び家名の名誉の維持という精神的利益、遺族が生命保険金を取得するなどの財産的利益など)という利益と、自殺しないことによる苦痛の継続と増幅という不利益とを比較して、利益が不利益を超えると判断した計算によって自殺するのです。
 いづれにしても、ジキルとハイドの話とフランケンシュタインの話は、理性を純粋に突き詰めて行けば、結局は破綻するということですが、この点こそが合理主義の最大の自己矛盾であり、チェスタートンの言葉が正しいことが証明されているのです。

 ところで、人には、先ほどのアンビバレント(ambivalent)な感情が共存しうるのですが、このような感情(本能)の世界とは異なって、論理(理性)の世界ではアンビバレントな理論や主張が共存することはあり得ません。もし、そのような事態になると、論理破綻とか論理矛盾と批判されて、議論の場から退場することを余儀なくされます。

 しかし、我が国では、世界でも例外的に、このようなアンビバレントな論理や主張が今でもまかり通っています。その原因は、長い間続いたGHQ占領政策による刷り込みにあります。この刷り込みが徹底し、その後遺症に苛まれている現在の日本人には、この論理破綻者が余りにも多いのです。
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