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千座の置き戸 -第九回 ジキルとハイド -2/5 

毎月 1日 15日とに公式ホームページに掲載しています。
千座の置き戸 8月15日掲載分をこちらにも転載いたします。

原文は こちら
ブログ用には原文に一部、読み仮名をつけたり 仮名遣いを変更したものを掲載いたします。



連載 千座の置き戸(ちくらのおきど)

           第九回 ジキルとハイド

                    南出喜久治(平成26年8月15日記す)

さかさまの まじはりあはぬ いひわけを わけずかたれば こころやぶるる
(逆様の交はり合はぬ言ひ訳を別けず語れば心破るる)


ですから、損得勘定からくる欲望を抑制できないのは、理性によって欲望を追求しても人に見つからないようにすれば罪として暴かれることはなく、身の安全が保てるというメリットがあると計算するからです。損得勘定で欲望を満たす行動をするか否かを「判断」するのが理性の働きであり、理性の中に善悪が共存しているのです。決して、理性が善、本能が悪ではありません。こんなことを言うのは、理性至上主義、すなわち合理主義であり、これが世界の思想や宗教に大きな弊害を生んだのです。

 人間も動物もすべて本能によって生命を維持して行動している生き物ですから、もし、本能が悪であれば、その欠陥のために早く滅んでいたはずです。ここまで生存できたのは備わった本能に欠陥がなかったからなのです。

 ですから、理性というのは計算による行動原理ですから、宗教観や道徳観で決められた善悪の区別においては、善の理性と悪の理性とがある訳です。善の理性とは、本能に適合する理性のことであり、悪の理性とは、本能に適合しない理性のことですので、既存の宗教観や道徳観の善悪の区別とは必ずしも一致しないのです。

 既存の宗教観や道徳観による善行を続けることによる精神的満足という利益と、善行を続けないことによる精神的不満足という不利益とを比較して、善行を続けることを選択する判断をし続けたのがジキルなのです。そして、密かに悪行を続けることによる刺激的快楽の高揚という利益と、悪行を続けないことによる刺激的快楽の低下という不利益を比較して、悪行を続けることを選択する判断をし続けたのがハイドなのです。

 人を私欲で殺すことは、部族内の秩序を乱すことになるので本能適合性からしても既存の宗教観や道徳観からも「悪」ですが、部族、民族の生存をかけた戦争で相手の部族、民族を多く殺戮することが部族、民族の保存本能に適合する場合は「善」になります。ところが、既存の宗教観や道徳観では、どんな場合でも人を殺すことは「悪」として、平面的で形式的平等の価値観で語ることになります。
 「平和時に一人を殺せば犯罪者となるが、戦争時に多数の敵を殺せば英雄となる」という言葉に対して、既存の宗教観や道徳観では説得力のある説明ができないのです。

 このように、善悪の区別は、本能適合性があるか否かで決まるもので、本能行動においては誤りはないのですが、理性による善悪の判断とその行動の場合は、計算の立て方によって善悪が逆転することがありうるのです。
 つまり、「狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。」とチェスタートンが言うやうに、ジキルとハイドの話は、本能に基づく感情をコントロールする本能機能を全く失って、理性の塊(理性のお化け)となったために起こった悲劇と言えます。
 ハイドは、最期には私欲によって人を殺すことになりますが、そのときは本能による殺人に対する感情的抑制が働かずに、その感情を乗り越えて、理性による損得勘定で殺すことになったのですが、このジキルとハイドの物語は、「本能=欲望=悪」、「理性=自制=善」という合理主義の思想の誤りを世界に広めることに一役買ってしまったのです。

 ところで、このジキルとハイドの話は、これより約70年前に発表されたフランケンシュタインの話がモデルになっているのだと思ひます。
 フランケンシュタインの物語はこうです。
 スイスの科学者であるフランケンシュタインは、ドイツにて自らが作り上げた「理想の人間」(理性的人間)の設計図に基づいて、それが神に背く行為であることを自覚しながら、自らが「創造主」となって人の死体を利用して「人造人間」を完成させました。この人造人間は体力や知性などにおいて完璧でしたが、その容貌は極めて醜く異形でした。フランケンシュタインは、これに絶望し、人造人間を残して故郷のスイスに逃亡します。しかし、人造人間は容貌の醜さを悩みつつ、「創造主」であるフランケンシュタインの元に辿り着き、伴侶となる異性の人造人間を造るように要求しますが、フランケンシュタインはこれを拒否します。人造人間はこれに絶望し、それを復讐に転嫁してフランケンシュタインの弟や妻、友人などを次々に殺害しました。フランケンシュタインは、これに憎悪を抱いて人造人間を追跡しますが、最後は二人とも怒りと嘆きを抱いて憤死するという物語です。
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