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アパグループ 第4回 「真の近現代史観」懸賞論文【転載】-4/5

アパグループ 第4回 「真の近現代史観」懸賞論文が発表されました。
本年の優秀賞 「日本は負けていない」~超経験者しか知らない史実~ 中松義郎博士
をこちらのブログにも転載いたします。

アパHP原文はこちら


又、進駐の翌朝から進駐軍は軍政を敷き、B円という占領軍貨幣を使わせ、日本経済をコントロールしようとしたが重光外務大臣と側近の岡崎氏の命を懸けた交渉でこれだけは阻止した。軍政と通貨は、ポツダム和睦条件に入っていないからだ。あたかも徳川家康が大阪冬の陣の和睦条件に外堀を埋めることから、人のよい豊臣方が呑んだら、内堀も埋められて、次に難癖をつけられ夏の陣で滅ぼされてしまったのと同じ手法だ。先に述べたようにアメリカは国際法で禁じられている行為、占領軍による憲法制定を強引に日本政府に呑ませ、占頷下で手も足も出ない日本政府は屈服した。軍人は切腹したのに政治家はこの不法行為に抵抗する「男」が誰もいなかった。
 一方、ソ連は日本との不可侵条約が厳として存在しているのに、日本が終戦の仲介を依頼しているのを知りながらノラリクラリとこれを無視し続け、終戦直前に日本に宣戦布告をした。樺太や千島列島の日本軍は上陸するソ連軍を撃退し、又、関東軍と朝鮮軍は旺盛な士気で朝鮮半島北部でソ連軍を待ち構えて撃退出来た。しかしソ連軍は、終戦後不法に北方領土を占領したのみならず支那大陸にいた六十万人もの純心な日本兵を「帰国させる」と偽って貨車に乗せ、シベリアに拉致し、重労働させた上、洗脳されないものは帰国させないと脅して共産主義教育を叩き込み、共産主義に洗脳された兵のみ帰国させ日本の教育界、マスコミ界、労働組合、演劇界にもぐり込ませた。そしてGHQと共に日本を左傾させ、学生も勉学そっちのけで革マル、中核、赤軍派など学生運動を繰り広げてこの学生が今や成人して政治家となり偏向した現政府の幹部となって日本を動かしている。そして産業も沈滞し道徳は乱れ、これらは現在日本が弱体化している基本的要素となった。
 この「終戦」の実情、つまり「戦意旺盛の陸海軍や頑張っている全国民をいかに説得してやめさせるか」を終戦にするのは大変な事で、「敗戦」どころの状態ではないのである。この実態を知らない最近の日本人は「終戦」を「敗戦」と言い変えているのは史実に反する。右に事実を説明したように実際に負けていない「終戦」と、負けたという「敗戦」は全く違うのだ。
 昭和一桁初期以降に生まれた若い人は右に述べた本当の歴史を知らない。だから日本政府の正式名称であり理論的に正しい「大東亜戦争」(太平洋だけでなく、ビルマ・インド等も含めた戦争)を米軍の言う「太平洋戦争」に言い換えたり、日本政府の正式名称「支那事変」を「日中戦争」と言い換えたり、国際間の正式国名の「チャイナ」又は「シナ」と言わず相手におもねって、又はお世辞で「中国(世界の中心の国)」と言っている。「支那事変」は日本政府が正式に国家間での戦争と認めていないのだから、日本政府は「事変」と言っているのであり、この事実に反しているのを知らないで「戦争」というのは理論的にも誤っている。又、「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である。
 占領軍は日本占領中、新聞や手紙の検閲を行って「大東亜戦争」の使用を禁止し、「太平洋戦争」を公文書に使うよう強制したが日本は独立している今もって間違った表現の「太平洋戦争」という名前を使って占領軍のトラウマに囚われているのだ。
 さて終戦の詔勅の文章を協議する会議で詔勅原案の中に「戦勢日に非にして」という文章があり、某大臣から「日本は勝ったのか負けたのか?」と質問が出たのに対し阿南陸軍大臣は「勝ち負けの定義を「日本が支配している地域の大きさと兵の士気」とすれば、日本が戦争を始めたときの面積と現在(終戦時)の面積を比較すれば、現在(終戦時)の面積の方が大きい。つまり日本はこの戦争で勝っていることになる。しかも兵の士気は旺盛で日本は最後には必ず勝つと信じている。」と答え詔勅原案「戦局日に非にして」は「戦局必ずしも好転せず」と訂正された。阿南大将は「本土決戦をやれば日本は負けないので、本土決戦のあと講和を結ぶ」との陸軍の主張が聞き入れられず、御前会議で終戦が決定されたので、いさぎよく切腹した。これは計画されていた大掛かりな陸軍のクーデターも抑える効果もあった。介錯も断った見事な切腹だった。
 この様な信念と責任感旺盛で主張が通らなければ最後には自分の命を堂々と切腹して絶つという大臣は現在の日本の大臣に誰一人いないのは、日本人が終戦後いかに堕落してしまったかを示すものである。
 右のように終戦時は日本軍に停戦を説得するのが大変で、まして敗戦ではないのが事実だ。
 終戦の詔勅について私の小学校も大学も同じ迫水久常書記官長(現在の官房長官)と私は公私ともに非常に親しく、迫水さんが出席した終戦の御前会議の模様など色々重要な話を直接迫水さん本人から聞いた。
 御前会議でおっしゃった天皇陛下のお言葉をラジオで全国民に伝える正式な勅語の文章作成を迫水さんが任され、迫水さんが一高で教わった漢文の先生である漢学者川田瑞穂に文章作成を依頼され原案を作成した。これを大東亜省顧問の陽明学者安岡正篤が手を加え、とくにこの詔勅の原文の中に「義命の存する所」という言葉が重要であった。
 全大臣が終戦の詔勅の文章を協議する会議が十一日夜から十三日夜迄続き、訂正箇所が四十ケ所もあり、特に重要だった「義命」という言葉が某大臣から「辞書にないから「時運」にしよう」と提案があって書き直されてしまった。そして「義命の存する所」が「時運の赴く所」に変更され正式の終戦の詔勅になった。

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