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祭祀の機能は「人類の融和」

*祭祀は誰も傷つけない
 祭祀と宗教の社会的機能について云えば、祖先祭祀や自然崇拝は、宗教とは異なり、決して誰も傷付けることはありません。対立する家族や氏族、部族、民族、人種であっても、祖先を遡れば、やがて根源に収斂されて統一融合するものであり、悉く対立を解消させる機能が祭祀にはあります。人は遺伝によって、親子の顔や姿などの形が近似することで親子の絆を強くし、家族が連綿と世襲します。この世に生を享けたことの感謝にも順序があります。先ずは両親、しかして、祖先、家族、氏族、同族、部族、宗家、国家、地球、宇宙という相似性の順序を辿って「かみ」に至る雛形の祭祀があります。このことは、自然崇拝についても同様です。

 つまり、祭祀の機能は「人類の融和」です。これに対し、世界宗教というのは、特定の宗教勢力が「絶対神」を定め、それを「唯一神」とすることによって、これと異なる「唯一神」を主張する宗教勢力とは、不倶戴天の敵となるのです。つまり、このような宗教の機能は「人類の対立」といえます。現に、これまで「祭祀戦争」は一度
もなく「宗教戦争」は数限りなく存在したことは厳粛な歴史的事実です。人々の救済のためにあるとする宗教が、まつろわぬ人々を脅し傷付け殺戮する。それゆえ、世界平和を真に実現するためには、人類は宗教進化論の誤謬に一刻も早く気づいた上で、祭祀から退化・劣化した「宗教」を捨てて始源的で清明なる「祭祀」に回帰するしか
ないのです。それによって、闘争的で過度な教義の宗教も、選民思想や国粋主義にうなされた過度な民族主義も、その弊害は次第に除去されて行くことになります。

 ところが、祭祀と宗教とは全く異質のものであることが理解できず、国家祭祀とその擬似祭祀である国家宗教(国教)とを混同すると、我が国が戦前に推進した「国家神道」という過ちを犯すことになります。神道には宗教的側面も存在しますが、その本質は祭祀です。ところが、国家神道政策によって「神道の宗教化」が一層促進され
てしまいました。国家神道政策による最大の被害者は神社神道であったことを忘れてはなりません。いまこそ、我々は、一人一人が宗教の呪縛から解き放たれ、祭祀への回帰が必要なときなのです。
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