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おさなここち 『動物と機械』-1/2


実際にあった話ですが、心ない誰かのいたずらで、首に矢が刺さった野生の水鳥が見つかったことから、多くの人が可哀想だと大騒ぎし、役人まで出てきて、その水鳥を保護するために捕まえて、首から矢を引き抜く手術をし、元気になってから飛び立つ姿を大勢の人々が見守りながら、よかった、よかった、と拍手しながら涙を流して見送る光景をテレビで見たことがあります。少しおおげさな騒ぎ方ではありましたが、それでも水鳥を慈しむ人々の素朴な心が現れている、ほほえましい光景でした。

 私たちには、戦争や地震、津波、火事などの災害に見舞われた場合は勿論のこと、その原因が何であるかを問わず、病気や怪我をしたり貧しくて苦労している人や動物に接したときに「かわいそう」と感じる心があります。また、赤ちゃんや小さな動物などを見て「かわいい」と感じる心もあります。実は、これらの心は同じ心の働きです。かわいそうと感じたら守ってあげようと思うでしょう。また、かわいいと感じたときでも守ってあげようと思うでしょう。そして、それを実行するでしょう。だから同じ心の働きなのです。これは人にとって自然な心の働きです。

 どうして、こんな心の働きがあるかと言えば、それは、人には人としての本能が備わっているからです。もし、自分の命と体だけを守ることが一番大切なことで、それ以外は大切ではないとする個人中心の考えが正しいのであれば、命がけで家族を助けたりすることは馬鹿げたことであり、困っている他人は勿論、首に矢の刺さった水鳥を見て、かわいそうと感じる必要もないし、自分には何の関係もない人や水鳥を助けようと行動することもありえないはずです。そんなことをしたって自分が得することは一つもないし、時間もお金も損するし、ときには一番大切な命すら落とすことになるからです。それでも、私たちが、家族や困っている人を助けたいと思ったり、水鳥がかわいそうと感じることができるのは、自然な心の働きであって正しいことなのです。本能が間違っているとしたら、人類はとうの昔に滅んでいたはずです。本能が正しいから人類は生きながらえてきたのですから、本能を否定する個人主義の考えは間違いであり「悪」であるということです。

 人には、その人個人を越える価値があるから、それを気付かせるための心の働きが備わっています。自分自身も大切ですが、それ以上に家族が大切、そしてそれ以上に、家族同士が支え合う地域の社会(ふるさと)、そして、これをすべて包み込んでいる国家が大切、さらには、世界、そしてすべての命を育む地球が大切、という「大切さの階段」を上っていくように本能が作られているからです。この階段の踏み板は、順序正しくなければ階段になりません。途中の踏み板が一つでもなくなれば、階段としては使い物になりません。「かわいそう」とか「かわいい」と感じる心は、自分から始まって、それよりももっと大切なものがあるという、本能の序列を示す「大切さの階段」を上る力を養うためのものです。これが本能の仕組みであり、水鳥を慈しむのは、「大切さの階段」を一つ一つ上りつめた最上段にある、地球上の生きとし生けるものが共生するために必要な本能に由来するのです。

 ところで、動物を人間の社会との関係で分類すると、「野生動物」と「飼育動物」とに分けられます。人の世話にならずに自分たちの力で餌を取って生きている野生動物と、人から餌を与えられて飼育されている飼育動物との区別です。さらに、飼育動物は、「家庭動物」、「展示動物」、「実験動物」、「産業動物」に区分されます。「家庭動物」は、犬とか猫などのように家で飼う愛玩動物(ペット)。「展示動物」は、動物園や水族館などで飼育する見せ物用の動物。「実験動物」は、医療や科学実験での生体実験に使うモルモットなどの動物。そして、「産業動物」は、食用の肉や乳、卵などのために産業的に飼育された牛、馬、豚、ニワトリなどの動物です。

 先ほどの水鳥は野生動物ですが、飼育動物の中でも、飼い主の身勝手な理由で無責任にも捨てられたり、保健所に持ち込まれたりする家庭動物などを保護することなどについては、「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」と「動物の愛護及び管理に関する法律」という法律があって、それらによって動物は守られているのです。
 しかし、展示動物、実験動物、そして産業動物になると、その保護がとても薄くなります。特に、産業動物については、水鳥の命を慈しむ心を、まるでブルトーザーでいっぺんに壊してしまうような話が現実にあるのです。

 それは、最近、特に頻繁に行われている家畜動物の「殺処分」です。これは、「家畜伝染病予防法」とこれに関係する法令と国際的な合意によってなされているもので、牛とか豚などが「口蹄疫」(こうていえき)にかかったり、ニワトリなどが「高病原性鳥インフルエンザ」にかかったときには、これにかかった動物(患畜)はもちろん、場合によってはこれにかかった疑いのある動物(疑似患畜)も含めて何十万頭も何十万羽もの動物を殺してしまうことです。法律的には、口蹄疫にかかった動物を殺すことを「と殺」(屠殺)と言って、食肉用に殺すときと同じ言葉を使います。それ以外の動物が病気にかかったことを理由に殺すことを殺処分と言うのですが、ここでは一律に「殺処分」という言葉を使うことにします。
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