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千座の置き戸(ちくらのおきど)第三回 交戦権と自衛権-1/4

こちらのブログには 一部に読み仮名をつけ、仮名遣いを変えた文章を載せさせていただいています。
元の文章はこちら 國體護持塾 HP


連載 千座の置き戸(ちくらのおきど)

              第三回 交戦権と自衛権

                    南出喜久治(平成二十六年五月十五日記す)

たたかひを ゆるしあたはぬ いくさびと やたのからすも かかしとまがふ
(戦争を許し能はぬ軍人(交戦権なき自衛隊)八咫の烏も案山子と紛ふ)

 占領憲法第9条を巡る最近の議論は、どこの党も一番大事なことを只管(ひたすら)に隠して続けています。政治家や学者らの自称「専門家」は、まことしやかに憲法解釈なるものを展開して議論していますが、彼らに共通する「本音」は次のようなものです。

 「国民主権というが、そんなものは憲法解釈においては全く通用しない。憲法解釈については憲法学者、政治家、法務官僚、裁判所、検察庁、弁護士会などで構成される「専門家階級集団」に憲法解釈を決定する「解釈主権」があるのであって、専門家階級集団に属しない素人の一般国民がどんな意見を述べても、それは閉鎖的な我々の専門家階級集団の世界で認められる理論でない限り、憲法解釈の見解としては到底認められない。」というものです。

 私は、個別的に専門家階級集団の人たちから、その本音を直接に聞いたのではありませんが、これはこれまでの経験からして間違いではありません。もし、これに反論や異議があれば、誰でも結構ですから公開討論として申し出てください。必ず返り討ちにしてあげます。つまり、この本音は政治学で言ふところの「寡頭制」で憲法解釈は決まるのであって、「専門家階級集団主権」が事実上確立してをり、国民全般の自由で素朴な解釈は絶対に認められないということを意味しているのです。

 「砂川事件」の最高裁判所大法廷判決(昭和34年12月16日)が言うやうに、自衛隊は、「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」を持つ組織であつて、これは占領憲法第9条第2項で禁止されている「戦力」に該当します。この事件は、自衛隊の違憲性が争点となっていないので、自衛隊が違憲であるとは直接に言っているものではありませんが、一般論からして、自衛隊は、その人的組織と物的装備などにおいて、戦闘能力(戦力)を持つ「軍隊」であることは国民の常識なのです。
 ところが、専門家階級集団は、詭弁(きべん)を弄(ろう)してこれを戦力でも軍隊でもないとします。最近では、共産党や社民党ですら自衛隊は違憲であると繰り返し強調して主張することをしなくなりました。左翼なら、「憲法解釈を我々の手に取り戻そう」と叫んでもよいはずなのに、馴れ合いを常習とする腰砕け政党どもは、すべて憲法解釈の「寡頭制」を支持してきてゐるのです。

 イラクに自衛隊が派兵されるに際して、「武力の行使」を禁止する占領憲法第9条第1項にある「武力の行使」を禁止する規定があることから、武器の種類とその使用制限について延々不毛な議論が国会でなされましたが、「武力による威嚇」については、私の助言を受け入れて前衆議院議員の末松義規氏が特別委員会で指摘したものの、これに対する政府答弁は惨憺たるものでした。武装部隊である自衛隊がイラクに派遣(派兵)することは、イラクの住民からすれば「武力による威嚇」になるのではないか、といふ質問にまともに答えられなかったのです。興味があれば、その会議録を検索して調べてみてください。

 ところが、この議論は、その後誰一人として行いませんでした。自民党や公明党は勿論しませんが、民主党、共産党、社民党など、自衛隊のイラク派兵に反対する党ならば、「武力の行使」の議論で膠着するよりも、「武力による威嚇」の議論の方がイラク派兵に反対する有力な根拠になるはずです。ですから、いの一番に飛びつくはずの議論なのに、これを全く無視してしまったのです。私は、このことから、与野党のすべては、やはり馴れ合ひ集団であり、茶番の議論を繰り替えして「国会主権」を謳歌する鞏固な専門家階級集団があると再認識した訳です。
 そして、この専門家階級集団が、殆どの国民が理解し得ないような「ジャーゴン」(業界用語)を多用して国民を煙に巻きます。国民に「憲法は難しい」ものだと刷り込ませ、そんな難解で複雑な議論についてこられないし、なんだか訳が解らなくなって思考停止させ、議論に加わることを断念し、いつの間にかまんまと憲法解釈における「寡頭制」支配の確立を国民側も黙認してしまったのです。

 寡頭制を確立させた専門家階級集団の議論に誤魔化しや矛盾があることは枚挙に暇がありませんが、最近では、集団的自衛権に関して、先ほどの砂川事件最高裁判決の解釈を巡る議論がされています。この行使について、否認論とか、限定容認論とかが喧しく主張されていますが、これに関連する問題として、専門家階級集団の迷走ぶりを次の三点の根本問題に絞って指摘してみたいと思います。
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