スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

連載 千座の置き戸(ちくらのおきど) 第一回 逆事と祭祀-2/2

塾HPで新たに開始されています 
塾HP掲載分
連載 千座の置き戸(ちくらのおきど) 第一回 逆事と祭祀

こちらにはかなと一部読み仮名を付けた物を掲載いたします。 本日は後半部分

特攻隊の隊員が、親に先立つ不孝を詫びるのは、自己の死を自覚しながらの「大義親を滅す」の思いの裏返しだからです。孝から忠へ、そして祖国愛へとつながる本能の序列において、最も高次の本能である祖国愛に殉じた人を英霊として祭るのですから、親に先立った息子を「親不孝者」とは決してしないのです。

 人の死は、その周りに居る残された人たちに様々な波紋を残します。その死が、事件、事故、災害、戦争などの様々な原因や理由の違いによって、誰かを怨んだり、誰かから怨まれたりすることになります。誰かが原因となり、あるいは本人が原因となって人を巻き込むことが多いからです。そのようなことのない不慮の災害や突然死の場合は、誰に対しても怨まず、誰からも怨まれないことが多く、それだけでも残された者の苦しみが少なくなることは幸いです。
 しかし、普通の場合は、怨みを残し、怨みを受けるものですが、ここで皆さんによく心に刻んでほしいことは、たとえどんなに大きな罪を背負って死に至つても、「怨みに報ゆるに徳を以てす」を説いたものが「古事記」にあることです。

 それは、スサノヲノミコトが高天原を追われるときの「ちくらのおきど(千座の置き戸)」のことです。スサノヲは、ウケヒによって、後にアマテラスの養子となるアメノオシホミミノミコトを産み、これによつて心の至純さを証明できたのですが、どういう訳か高天原に戻った後に傍若無人な振る舞いをしたことから、すべての罪状を「ちくらのおきど」に並べ立てられ、それを一身に背負って過酷な罰を受け、高天原を追放されます。追放というのは、神の世界では死刑を意味するのです。このスサノヲの高天原追放の話には、語られていないもっと深い話があるはずです。

 高天原を追放されて出雲に下ったスサノヲは、見違えるほどの活躍と貢献をするのです。そこには、高天原の神々に対する恨み辛みが全くありません。出雲とは世界の雛形であり、スサノヲは専心に地球上の人々の苦しみを取り除くことに尽くす姿が古事記には示されているのです。

 スサノヲのような神は、世界には居ません。スサノヲは至尊であり、だからこそ、イザナギ→スサノヲノミコト→アメノオシホミミノミコト→ニニギノミコト→ホオリノミコト→ウガヤフキアエズノミコト→カムヤマトイワレヒコノスメラミコト(神武天皇)と続く男系男子の皇統の皇祖であることに我々は大きな誇りを感じることができるのです。

 罪とは、すべての人々の心身の病であり、それは心身の貧困が原因です。世界の人々の病や貧困を救うのはスサノヲの本願です。それゆえ、どんなときにでも祭祀を実践して逆事を乗り越え、我々もスサノヲの本願を実現したいものです。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。