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おさなここち(幼心地)その十一 ウサギの審判-2/2


昨日に続いて おさなここち ウサギの審判 を掲載いたします。

おさなここち(幼心地)

       その十一 ウサギの審判 


次に、人と牛との関係も考えさせられます。昔の日本では、この話のように、牛に随分嫌われるほど牛を一方的に虐めたり冷遇するようなことはありませんでした。牛飼いや馬飼い(馬子)と呼ばれる人達は、牛や馬と寝食を共にしましたし、農家でも牛や馬は家族でした。ところが、現代人は、牛については乳と肉を提供する「物」としか見ません。馬についても競馬などの娯楽用の「物」などにしか見ていません。もし、この話が現代に作られたとしたら、牛はこの話以上にその怒りを爆発させたでしょう。牛や馬からすれば、人間は虎よりも凶暴で、兎よりも狡い存在であると思っているはずです。

 最後に、人と木の関係があります。木が人を一方的に嫌うことも日本では違和感があります。我が国は人と木とが共生を続けてきた国柄です。植樹、植林をするのは、世界で唯一、日本だけの伝統です。世界では、木というのは勝手に山などに生えてくるものだという認識です。木を切りすぎで砂漠化することで、これまでのほとんどの文明は滅びました。また、森は悪魔が住む場所であるとして、森が潰されてきました。
 韓国も同様で、日本の統治が始まるまでは、山にはほとんど木がありませんでした。木を燃料や建材などにするため手当たり次第に木を切るだけで植林することがありませんので、当然に禿げ山になります。木が生い茂っていないために、枯葉もなく山土が痩せて乾燥し硬くなり、山に水を保つ力がなくなって、大雨が降れば洪水や土砂崩れが起こります。山で水を溜めることができないので、春になっても水が涸れて田んぼの水が引けません。そこで、日本が植林を教え水田稲作を普及しました。韓国では、毎年4月5日は植樹の日として定め、植林の習慣がだんだんと定着していますが、北朝鮮では植林の習慣を続けなかったために、今でも山は禿げ山が多く、雨が降ればすぐに洪水や土砂崩れが起こります。
 植林の習慣が世界に広がるまでにはまだまだ時間がかかりそうですが、それでも着々とその努力が続けられています。しかし、どうも勘違いしている人が多く、どこにでも植林すればよいのではありません。砂漠になるのは気象条件などが原因ですから、そこにむりやり木を植えたからといって、森ができるはずがありません。植えても直ぐに立ち枯れてしまうだけです。気候や土壌などの環境を無視して、やたらに植林しても全く意味がないのです。人工的に水を撒いても生育しませんし、それでは長続きしません。それどころか、資源としての水を無駄遣いすることになります。
 そして、さらに困ったことがあります。それは、樹木が土地開発の名の下でむやみやたらに多く伐採されて森林の多くが消えていっているのです。山の木を切り倒しゴルフ場を作ることなどの乱開発が世界的規模で行われています。ですから、木と人との良好な関係を築いていかなければ、この話のように、本当に木から嫌われて、いざとなったときには助けてくれないことになるかも知れません。

 皆さんにお願いしたいことは、この話を昔話だとして受け止めるのではなく、今の私たちの社会への警鐘として捉え、たゆまない努力と工夫によって人と自然とが共生する、よりよい社会を実現してほしいのです。
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