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祭祀の道 第五十九回 家産と貨幣経済(その五)-1/2

本日は旧暦の1月15日 いわゆる小正月、女正月ですね。

2月1日に國體護持塾 HPに掲載しておりました 祭祀の道 第五十九回 家産と貨幣経済(その五)をこちらにも転載させていただきます。

原文は こちら

ブログには今、私たちが慣れている仮名遣いと一部読み仮名を付けた物を転載します。

かぶかはせ かかはりのない くらしにも おほひかぶさる だきつきおばけ

(株(株式、債券)為替(国際為替)関はりのない暮らし(社会生活)にも覆ひかぶさる抱き付きお化け)


 占領憲法の原案であるマッカーサー草案は、わが民族の自決権を奪った諸悪の根源ですが、その中で、一だけ評価できるものがありました。それは、第七十六条の「租税ヲ徴シ金銭ヲ借入レ資金ヲ使用シ並に硬貨及通貨ヲ発行シ及其ノ価格ヲ規整スル権限ハ国会ヲ通シテ行使セラルヘシ」という規定です。これは、租税徴収権と通貨発行権を一体として国会の権限にしようとしたものです。

 当時も現在も、アメリカ合衆国連邦憲法の第一章第八条第五項には「合衆国議会は貨幣発行権、貨幣価値決定権ならびに外貨貨幣の価値決定権を有する。」という規定がありますが、このすべて権限は、合衆国議会にはなく、FRBに奪われたままであり、違憲行為がいまも継続しているのです。戦前の日本も、日本版FRBとも言うべき「日本銀行」が設置され、帝国議会は勿論のこと、国家にも天皇にも実質的には通貨発行権がありませんでした。連邦憲法に則してこれを国家が取り戻す方向で、マッカーサー草案第七十六条ができたのですが、FRB支持勢力によって政府の帝国憲法改正案からは削除され、勿論、占領憲法にもその規定はありません。
 ただし、通貨発行権が日銀に専属するとはなっていないために、過去において「政府紙幣」の発行が提唱されたことがありましたが、国内のみならず国際的な視点での通貨発行権の根本問題に迫ろうとしないその場限りの軽い思いつきの提案であったこともあって、FRBの走狗に成り果てた政府によって、この案は完全に潰されました。

 国家に租税徴収権がなければ、税収入を確保できず国家予算を組むことができませんので「財政」政策を決定することができません。これと同じように、国家に通貨発行権がなければ、通貨価値や通貨量を決定して経済の循環血液の役割を担う通貨による「金融」政策を決定することができません。この「財政」と「金融」とは、車の両輪のように、国家の経済的独立性(言葉は適正ではありませんが、「経済主権」と表現することがあります)を保つためのものです。国家が、他国や他の組織や団体の影響と干渉を受けることなく、自らがその財政と金融を決定することができなければ、独立国家ではないからです。

 国家の独立とは、政治的独立と経済的独立の双方が満たされることです。その意味では、マーストリヒト条約によって成立した欧州連合(EU)の欧州中央銀行(ECB)に、EU加盟各国は単一通貨(ユーロ)の通貨発行権を与えたことから、ユーロ圏では、各国には国債発行権はあっても、通貨発行権は各国にはありません。つまり、各国は経済的には「半独立国」となったわけです。
 マーストリヒト条約やEU憲法条約によって、EU加盟各国は、EU全体が一つの独立国に近ずこうとするのです。

 EU統合の構想というのは、ローマ帝国や神聖ローマ帝国に続く、「第三次ローマ帝国」を建設する構想ですが、これまでの歴史に学べば、いずれ崩壊します。ローマ帝国や神聖ローマ帝国は、その版図が拡大しつ続けることによって、平和と繁栄をもたらしたもので、その版図の拡大が止まった段階で崩壊が始まったからです。永久に膨張し続け、国外の周辺から富を収奪しそれを人民に「パンとサーカス」としてそれなりに公平に配分してきたからこそ、異文化と異民族の複雑な対立という内部矛盾の目を逸らすことができました。ところが、ローマ帝国では、版図の拡大が止まると、内部矛盾が吹き出し、さらには、国外からの異民族の侵入が起こりました。版図が拡大することによる軍事費の増大が、「パンとサーカス」の配給の減少と不公正配分を生んだからです。それをなんとか維持しようとして必然的に悪質な通貨をジャブジャブ発行したために、貨幣経済に対する信用が崩壊して行つたのです。そこで、起死回生を狙ってキリスト教を国教としたのです。「パンとサーカス」に代はる統治原理としてこれを採用したのです。「パンとサーカス」の公平分配という物質的公平が実現されなくなったので、キリスト教による精神的公平(平等思想)によって統治しようとしたのです。その意味では、マルクスが「宗教はアヘンである」という言葉は、宗教の統治効用を指摘したものとして評価できます。「パンとサーカス」が人民に公平に分配されなくなっても、人民をアヘン患者にすれば、富める者も貧しい者も、健康な者も病弱な者も、等しくキリスト教によって救済されることにおいては平等であるとの教えによって、貧富の格差や富の再配分の不公正さの矛盾から目を逸らすことができるからです。しかし、キリスト教を国教としても、その程度ではローマ帝国の崩壊は止まりませんでした。そして、東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂しました。分裂してそれぞれ版図が縮小すれば、それに比例して矛盾の規模も縮小するからですが、結局は内部矛盾と外部圧力によって滅んだのです。西ローマ帝国もまた三分割された後に滅亡しましたが、その形式的復興を果たしたのが神聖ローマ帝国ですから、EUは、「三度目の正直」となることを期待したものです。しかし、これは「三度目の正直」になるのではなく「二度あることは三度ある」というべきです。
 しかも、EUには、過去の歴史で明らかなように、物質的にも精神的にも人民の公平感を満足させる統合原理がありません。国教を打ち立てることは時代を逆行させることで不可能です。「パンとサーカス」や「キリスト教」に代はりうる何らかの統合原理すら存在しないEUでは、各国間の格差矛盾などによって早晩崩壊することは必至です。
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テーマ : これからの日本
ジャンル : 政治・経済

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