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塾生による寄稿の転載

この度、政治結社 大行社様のご厚意により、季刊『大吼』(平成26年 新年号)に塾生の随筆を掲載して頂きました。下記に転載させて頂きます。また同時に、この場をお借りして、大行社様には深く感謝申し上げます。

大吼 平成26年新年号 

季刊『大吼』をお求めの方はこちらのHPの「お問い合はせ」へどうぞ  
 
  ヨーロッパ的思考からの転換
-日本的価値観を世界に発信するために-
  加藤 智也
                                       

ドイツの文豪ゲーテは「外国語を知らないものは自国の言葉について何も知らない」といふ格言を残してゐる。外国語を学ぶことは、自国を客観的に見る手がかりを得ることであり、また同時に自国の理解を深めるのにも役立つ。ただ、かう言つた比較文化は、趣味や教養の域に留めるのではなく、自国が世界に貢献するための知恵として有意義に活用すべきものである。近代以降、我が国は脱亜入欧といふ標語の下、ヨーロッパ諸国に学ぶ姿勢にあつた。しかし、当時の列強諸国は有色人種への差別心を顕にし、アジア、アフリカ諸国を植民地支配し続け、資源、農産物のみならず、人的な搾取までも行つた。この傍若無人の振る舞ひに「待つた」をかけたのが我が国であり、昭和18年(1943年)の大東亜会議では「人種差別の撤廃」を含む大東亜共同宣言を満州国、中華民国、フィリピン、タイ、ビルマ、インドと共に全会一致で採択してゐる。我々日本人はこの大義を深く肝に銘じた上でヨーロッパ文化を学び、それが抱へる問題を克服する手段を模索しなければならない。

そもそも、ヨーロッパ文化とはどのやうな特徴か。一般的に、その源流はヘブライ文明とヘレニズム文明にたどり着くと言はれてゐる。ヘブライ文明とはユダヤ文明のことであり、旧約聖書に源流を持つキリスト教文化に直結する。この宗教は、西暦313年のミラノ勅令において、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世とリキニウス正帝が容認したことで、ヨーロッパに定着した。以降、ヨーロッパ人はキリスト教信仰に基づく独自の生活様式を形作つてきた。一方、ヘレニズム文明とは古代ギリシャの文明を指す。これは中世キリスト教社会では一旦封印され、イスラム圏で保存されてゐたものの、ルネッサンス期にイタリアで再び開花し、以降、主に芸術思想面におけるインテリ層の教養とされてきた。現在でも欧米の多くの大学ではラテン語と並び古代ギリシャ語の講座が設置されてゐる。

近年の経済危機以降、欧州連合(EU)の「お荷物」となつてしまつたギリシャではあるが、その文化的遺産はヨーロッパ人の世界観の核となつてゐる。その特徴は「個人の主体性」を明確に意識してゐる点である。『木を見る西洋人 森を見る東洋人』の著者リチャード・E・ニスベットは、ギリシャのエピダウロス円形劇場と古代オリンピックを例に挙げ、古代ギリシャ人が数日間かけてこの劇場に通つたこと、戦闘を休止してまでもオリンピックに興じたことからして、「ギリシャ人は他のどんな古代人よりも、そして実際のところほとんど現代人よりも明確に『主体性』の観念を持っていた」(1)と指摘してゐる。これは、古代ギリシャ人が個人として感動することを何よりも優先してゐたことの証左である。紀元前においてこれほどまでに自己の芸術鑑賞欲を満たさうとした民族は、おそらく他には見当たらない。また、ニスベットは古代ギリシャ人の「主体性」の観念には、「自分の人生を自分で選択したままに生きるという考えかた」(2)があり、幸福の定義に関しても、「制約から解き放たれた人生を謳歌するという意味が含まれていた」(3)と述べてゐる。「主体性」なる用語は「個人主義」と言はれるヨーロッパ文化を知る上で重要なキーワードである。これがすでに紀元前に発生してゐたことには驚かされる。また、同時にここで強調したい点は、一旦「主体性」なる意識が確立されると、必然的に対立する「他者」の概念も発生することである。この時点で、ヨーロッパ文化は「主体」と「客体」といふ二分法的思考を抱へ込むことになつた。

古代ギリシャ人は自然現象を「客体」として捉へ、それを「主体的」に分析することに長けてゐた。現代で言ふところの科学的態度がすでに存在してゐたのである。天文学、自然学、幾何学、物理学といふ自然現象や宇宙の根本原理を追求する学問の礎が確立したのも古代ギリシャであつた。古代ギリシャ人は対象そのものに着目し、その「本質(エッセンス)」を抽出することに力を注いだ。たとへば、エンペドクレスは世界の構成要素は「火」、「水」、「土」、「風」の4つの元素であるとし、また、デモクリトスはこれ以上分割できない物質として「アトム(原子)」を想定した。これは唯物論にほかならない。この思考法は近代においても連綿と生き続け、たとへば、デカルトは動物の構造を説明する際に、動物とは心臓を熱機関として動く機械だと見なした。

古代ギリシャ人の「本質」の抽出には、具体的なものを抽象化しやうとする別角度からのアプローチもある。たとへば、三角形とは何かといふ問に対して、物体としての三角形に固執するのではなく、その本質を抽象化し、理念(イデア)としての三角形を定義した。つまり、辺の数や内角の和などから定義したのである。このやうに本質を求める思考法は、「分析的」態度の芽生えだとも言へる。結果、万物を分類する「カテゴリー化」が発生した。

一方、我が国に目を向けてみたい。明治以降、日本人は積極的にヨーロッパ文化を受け入れてきた。とりわけ、戦後はその量が膨大となり、もはや、ヨーロッパ流の科学的精神を拠り所とせずに社会生活を送ることは不可能となつてゐる。もちろん、このことは日本人に恩恵をもたらした。しかし、ヨーロッパ文化を過度に受け入れたことにより、日本人が本来持つてゐた価値観が喪失してゐることも否定できない。ここに筆者は強い危機感を抱く。かつて、日本人はこれほどまでに自然を自己から隔離させ、単なる対象として認識してゐたであらうか。もつと一体ではなかつたか。また、日本人は今の時代におけるほどに自己と他者を区別してきたであらうか。これまで、自己と他者の垣根を越えて共に助け合ひ、支へ合ひ、互ひの欠点を補ひながら共に暮らしてきたのではなかつたか。日本人は一つの家族であつた。かういふ例がある。文久元年(1861年)、日本を訪れたフォーチュンといふ外国人の報告であるが、彼は町で明らかに精神に障害を持つ女性を見つけた。彼女は色々と奇行を繰り返すが、人に危害を加へる様子もないので、彼女を咎める者は誰もなかつた、といふ。江戸時代の日本社会では、「障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人びとと混じりあって生きてゆくことができた」(4)のである。そこには誰彼なく「分け隔てなく」共存できる風土があつた。ところが、残念なことに、個人主義の流入により他者との違ひを強く意識するにつれて、「分け隔てなく」といふ感覚もまた廃れたのではないだらうか。もちろん、ヨーロッパ文化に相互扶助の精神がないなどと言つてゐるのではない。ただ、日本における人間関係の緊密さが、科学的精神と個人主義により損なはれてゐることに警鐘を鳴らしたいのである。

このやうな「分け隔てなく」といふ精神は、ヨーロッパにはあまり多く見られない。やはり、ヨーロッパでは人種、民族の垣根を過剰に意識する中で争ひを繰り返してきた。「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるバルカン半島においては、民族的にあまり違ひのないスラブ系民族が居住してゐるにも拘らず、宗教の違ひを過度に意識する中で、激しい戦闘が繰り返されてきた。武力でもつて相手を制圧し、宗教や価値観を奪ふために虐待をする「民族浄化」が今日でも行はれてゐる。

それに対して、我が国が統一するまでの道のりは、ヨーロッパとは随分と異なる。大和朝廷は各地域を治める際、その土地の住民が崇める氏族の神を全部朝廷に持つてこさせ、これを天皇がきちんとお祀りすることを条件に、統治の了解を得た。住民がこれまで拝んでゐた神を今度は天皇が祀つてくれるといふことで、朝廷は一方的に天皇の宗教を押し付けることなく統治を可能とした。現在でも宮中には賢所と皇霊殿のほかに神殿といふ社があるが、神殿には日本全国の八百万の神々が祀られてゐる。(5)この大和朝廷の統治形態は、自己と他者を明確に線引きし、相手を一方的に支配するといふヨーロッパ型の統治形態ではなく、融和的である。そこには他者と自己を区別することよりも、さらに深い部分での人間的なつながりが感じられる。つまり、祭祀のこころである。

祭祀の概念にはいくつかあるが、筆者が言ふ祭祀とは、「祖先から連綿と命を受け継ぎ、家族を守り維持するという始源的な本能に由来するもので、家族愛による祖先への崇拝と感謝、子孫への慈しみとは不可分なものであり、死によって『から』(体、幹、柄、殻)を失った祖先の『たま』(霊、魂)は、常に家族の『から』と『たま』と一体となって共存しているとの確信」(6)である。日本人は一神教の神を崇めてきたのではなく、祖先から命を受け継いできたことに深く感謝し、それを尊い事実として受けとめてきた。従つて、今ここに自分が存在するといふことには、単独者としてではなく、多数の命を受け継いできたことの自覚が伴ふ。それゆゑ、自分が「個人」であると言ひ切るには躊躇ひ、また、他者とのつながりも自覚せざるを得ない。

キリスト教が圧倒的な力をもつて支配したヨーロッパでは、祖先祭祀の伝統はほぼ壊滅状態にある。その代はり、「個人主義」が発達した。これは我が国の伝統的な価値観とは本質的に相容れない。この不適合な部分を我々日本人は認識し、ヨーロッパ文化を受け入れる際の注意点としなければならない。

筆者は、国境をなくすことや諸民族が混成する「多文化共生社会」は否定してゐる。これが社会に混乱をもたらすことは、ヨーロッパ諸国における移民問題の深刻さが証明してゐる。さうではなくて、諸民族が各々の完結した国家や自治区を持ち、その圏内で安定的に暮らせることが望ましい。ただし、その際、隣接する他民族と隔絶するのではなく、一定の人間的なつながりを確保しておくことが重要である。各々の民族の存在を尊重しながら、相互の不足部分を補ひ合ふといふやうに、日本人がかつて行つてきた人間関係に似た関係を構築する必要がある。この実現は容易ではないだらう。しかし、かう言つた絆は、観念的な人権論に基づくのではなく、人間が多数の命と関連することの自覚、つまり、祭祀のこころに気づけば、実現できるのではないだらうか。そのためにも、日本人は祭祀を世界に発信する使命を負つてゐる。最後に、大東亜共同宣言の一文を挙げておきたい。

《一つ、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し、互助敦睦の実をあげ、大東亜の親和を確立す。》

大東亜会議 最小


【注】
(1)リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』ダイヤモンド社 平成19年 14頁 
(2)前掲書 14頁
(3)前掲書 14頁
(4)渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー 平成21年 563頁
(5)葉室頼昭『〈神道〉のこころ』 春秋社 平成9年 125頁
(6)南出喜久治 『くにからのみち』まほらまと草子 平成21年 119頁


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