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祭祀の道-第五十八回 家産と貨幣経済(その四)-2/2

昨日に引き続き、祭祀の道を載せさせていただきます。
祭祀の道-第五十八回 家産と貨幣経済(その四) 後半部分です。


ところが、このように、誰もが個人個人が自己の生産物の価値に見合った通貨を発行するとなると、それは技術的にも不可能で、バラバラで統一性のない個人発行の通貨では社会的な信用性がありません。そこで、個々人の持つ通貨発行権を一括して取り纏めて、それを全部政府に委託し、政府が統一して発行することが合理的であり、これによって個々人の不正発行、水増し発行を防ぐことができて、通貨に対する信用不安を解消することができます。こういう経緯で、政府が通貨発行権を取得しているというのがその理由なのです。こんな当たり前の理屈をこれまで誰も議論してこなかったのです。

 このように考えてくると、政府が国民全体から委託を受けて発行する通貨総量というのは、国民全体が生み出す「国富」を限度とすることになります。実体経済における生産物の実物総量を限度とすることになります。次回に述べますが、これは、「GDP」(国内総生産)とは全く異なるものです。
 国富の一部を形成する米(コメ)を例に説明するとかうなります。年間のコメの生産量をAとし、これと交換できる通貨(お米券)の総量をa とします。そして、お米が年間で消費される量をB、これに見合う通貨(お米券)の量をb とすれば、米の現存量(コメの国富量)は、A-B と減少し、これに対応する通貨量もa-b と減少させなければなりません。ところが、現代社会の経済では、まさにバーチャル経済であり賭博経済ですから、生産も消費もすべて価値の「増加」として認識するのです。

 つまり、1通分の手形しか決済できない資金だけしかないのに、資金繰りのために何通もの手形を濫発(らんぱつ)をするかのように、お米の量(A)に対応するお米券(a)を1通だけ発行するのではなく、これを何通(na)も発行したり、さらに、そのお米券(a)をそれ自体商品として、お米券(a)買える券(a’)を作り、さらには、その券(a’)を買える券(a”)を作るというように、これらを際限なく続けて「券」を作り出すのです。これらは債権とか有価証券とかいう代物であり、将来において、いつかは取得できるかも知れないという期待があるという程度にすぎないものを、コメの実物と同じ「価値」があるものと偽ったものなのです。お米を食べて全部なくなったとしても、お米券(a)はそのまま流通させて消却されませんし、お米の実物量(A)に対応するお米券(a)1通だけではなく、na+a’+a”+・・・・と際限なく発行された通貨の総量が存在して、賭博取引やバーチャル取引が際限なく続けられ、これらもいつまで経っても増加することはあつても消却されることはありません。椅子取りゲームにおいて、合図のホイッスルが鳴らない状態ならば、椅子の数や参加者の数を勝手に変えてルールを無断で変更したとしても、参加者は必ず座れると信じ続けているので、不満を言う人は出てこないのです。

 こんなことを個人がすれば詐欺罪で捕まりますが、理不尽にも政府はそれを続けることができるのです。ましてや、アメリカ政府から独立した財閥集団(FRB)や、日本政府から半独立状態の日本銀行などが、政府と共謀し、管理通貨制度の下でいくらでも理屈をつけて通貨を「ジャブジャブ」と発行し続けて行くのです。
 そして、国富の実体である生産実物の価値とは全くかけ離れた通貨量が国内と世界を駆け巡り、株式相場や為替相場に流れ込み、賭博経済を加速して価格の乱高下を起こして、真面目に汗水を流して働く多くの人々の生活を困窮させます。博奕打ちは堅気の人に迷惑を掛けてはならないという昔の掟は、いまや通用しません。政府や財閥、そしてマスコミは、挙(たか)ってこの博奕を奨励し続けているのです。博奕打ちのための株価や為替の相場は、天気予報と並んで毎日報道し続けて、賭博経済を奨励し正当化してきたのです。

 国富は、物資の生産によって増加しますが、消費によって減少します。食料やエネルギーは、人が生活をするのに不可欠な消費であり、それを超える生産活動を続けない限り国富は減少するのです。また、生産や生活のために必要な消費だけでなく、災害や戦争などによっても物資が消滅したり消費されたりして減少します。
 つまり、人々から通貨発行権を委託された政府としては、通貨の発行総量は国富を限度とするものでなければならず、その意味では、「国富本位制」でなければならないのですが、当時は、その国富を測定し認識する理論も技術もなかったために、これ(国富本位制)に代はるものを探したのです。
 そこで、国富の変動を観察すると、急激な生産技術の向上などによって生産量が飛躍的に増大する場合や戦争や災害の場合などを除いては、生産量は自然増として漸増するものです。そうすると、その漸増の状態は、金銀の生産量と類似しています。大鉱脈が発見されたとしても、金銀はそれ自体に使用価値があるために消費もされるので、全体としても金銀の地金総量は、国富と類似した増減状態であることから、国富本位制に代用制度として、国富総量の変動と金銀の地金総量の変動と対応させたのが金銀本位制を採用したことの理由だったのです。

 ところが、ニクソン・ショック以降、国富の変動に類似した金銀本位制による通貨制度を捨て、管理通貨制度と変動為替相場制に移行したことによって、通貨総量に実質的な歯止め無くなってしまいました。

 冒頭のジョーン・ロビンソンの言葉のように、私達は、経済学者とか経済評論家、経済アナリストなどと呼ばれるような、いまではまるで競馬の予想屋にも似た賭博経済のスポークスマンたちの話を鵜呑みにしてはなりません。これらの者の話を根底からすべてを疑うことが祖国と世界を再生させる第一歩になるはずです。

(つづく)
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