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祭祀の道 第五十七回 家産と貨幣経済(その三 -2/2

毎月12月1日に塾HPに掲載しております 青少年のための連載講座 第五十七回が掲載されております。
本の文章はこちら→第五十七回 家産と貨幣経済(その三">第五十七回 家産と貨幣経済

こちらのブログには少し読みやすくしたものを2回に分けて掲載させて頂きます。


貨幣経済が発達していなかったイギリスでは、ロンドンでゴールド・スミスと呼ばれる両替商たちの銀行家連合が事実上の通貨発行権を持っていました。「通貨」というのは、法的に強制通用力のある「貨幣」を発行する権限のことで、本来ならば政府が管理しなければならないものです。しかし、この銀行家連合の発行する貨幣が事実上広く流通している状況を政府が黙認することによって、これを通貨として認めることになってしまったからです。
 そこで、12世紀の初めにヘンリー一世(Henry Ⅰ)が銀行家連合の発行する貨幣とは別に、初めての英国通貨を発行したのですが、銀行家連合は、正式に通貨発行権を政府から奪うことに成功します。その事件が、クロムウェルによるイギリスの清教徒革命(Puritan Revolution)です。その結果、イギリスの中央銀行となるイングランド銀行(The Bank of England)が設立され、以後、イギリスの通貨発行権は奪はれたままになっています。中央銀行というのは、国家から通貨発行権を与えられた民間銀行複合体であり、他の私的銀行を統括して金融政策を行うものであって、政府とは別の組織なのです。

 そして、これと同じような攻防がアメリカ合衆国でも起こりました。1910年、J・P・モルガン、ジョン・ロックフェラー、ポール・ウォーバーグなど11人により、合衆国から通貨発行権を奪い取って中央銀行を設立するための秘密会議がなされ、それをウィルソン大統領(Woodrow Wilson)が、1913年に、クリスマス休暇で議員が居ないのに議会を開いて、電撃的に秘密会議の決定に基づく法案を成立させ、中央銀行への返済財源に充てるための所得税徴収法まで成立させたのです。そして、翌1914年にFRBが設立され、合衆国の通貨発行権が奪われたのです。これは、「合衆国議会は貨幣発行権、貨幣価値決定権ならびに外国貨幣の価値決定権を有する。」とするアメリカ合衆国連邦憲法第1章第8条第5項に明らかに違反していたのです。

 なぜこのようになったかについては、独立戦争以来の伏線がありました。合衆国は、18世紀に、財政が脆弱なまま長期に亘る独立戦争を行い、その戦費などを欧州の民間銀行から調達し、実質的には通貨発行権は奪われていました。独立戦争終結後の1782年には、最初の中央銀行であるバンク・オブ・ノースアメリカ(The Bank of North America)が設立されますが、この設立を恒久法して認めることになると憲法違反となりますので、その後も、時限立法による中央銀行として、1791年にファーストバンク・オブ・ユナイテッドステイツ(The First Bank of United States)、1817年にセカンドバンク・オブ・ユナイテットステイツ(The Second Bank of United States)が設立されました。
 ところが、ジャクソン大統領(Andrew Jackson)は、1831年、欧州の銀行による支配に異議を唱えました。すると、暗殺未遂の災難に遭つたのです。その難から辛うじて逃れたジャンソン大統領は、暫定的に中央銀行として認める時限法を更新する改正をしなかったため、セカンドバンクは1836年に消滅しました。

 そして、そのことが引き金となって起こったのが南北戦争です。南北戦争には、奴隷解放などという表向きの理由と、通貨発行権の奪取という裏向きの理由があったのです。南軍も北軍もイギリスの銀行から戦費の調達を行ったので、どちらが勝っても欧州金融財閥の勝利となるのです。イギリスの銀行は究極のリスクヘッジ(risk hedge)を行って、南北戰戦争終了後における恒久的な中央銀行の地位を狙ったのです。ところが、南北戦争後の1862年に、リンカーン(Abraham Lincoln)は、アメリカ政府(財務省)の政府紙幣であるグリーンバックスドル(Greenbacks dollar)を発行し、欧州銀行複合体の支配からの脱却を図ろうとしました。これは、中央銀行が発行するドルではなく、アメリカにおける初めての憲法通貨(法貨、Constitutioal Money)でした。そして、これによって1865年にリンカーンは暗殺されるのです。

 暗殺と言えば、ケネディ大統領(John Fitzgerald Kennedy)の暗殺も同じです。ケネディは、アメリカに大量に眠る銀の埋蔵量に着目し、FRBの金本位制から合衆国独自の銀本位制へと移行することが可能であるとして、1963年に、銀本位制により合衆国発行の法貨を発行する大統領行政命令(executive order 11110)を1963年6月4日に発令しました。ケネディこそ、FRBに奪はれた合衆国の通貨発行権を取り戻すことに最も熱心で勇気のある大統領でした。そして、ケネディもまた、大統領行政命令を発令した同じ年の11月22日にダラスで暗殺されるのです。
 この大統領行政命令(executive order 11110)に基づいて、政府紙幣が一旦は発行されたのです。それは、現在の米ドルのデザインと似たもので、その5ドル札のコピーは、インターネットでも見ることができます。それによると、中央にはリンカーンの肖像が描かれ、上部分には、政府紙幣を意味する「UNITED STATES NOTE」と記載されています。
 これは、現在発行されているFRBが発行するドル紙幣(正確に言ふと、FRBが管理して連邦準備銀行が発行するドル紙幣)とは異なるもので、しかも、ここにリンカーンの肖像が描かれているのは、前掲の、リンカーンの遺志をケネディが受け継いだことを意味しており、ここにケネディの強い信念が示されていると言えます。

 ところが、ケネディが暗殺されたために、この政府紙幣は全て回収されました。すみやかに回収された経緯からしても、ケネディはこのことのために暗殺されたことが強く推定されるのです。ケネディが暗殺されて大統領の地位を引き継いだジョンソン大統領は、その後ほとんどのケネディの遺志を継いで実現しましたが、これだけは決して引き継がずに全否定しました。しかし、ケネディが署名したこの大統領行政命令は現在も生きているのであって、後任の大統領が志と勇気を持って実行すれば復活できるのです。
 ところが、ケネディ以後の大統領は、誰一人これを実行するものが居ません。

 ロックフェラーは、通貨発行権とシニョリッジ(通貨発行益)を独占し、「この、金の出る蛇口があったら、大統領の席も議会もいらない」と豪語したほどです。このことからして、アメリカは、私企業であるFRBに通貨発行権を奪われ続けているのであり、リンカーンとケネディ以外の合衆国大統領はすべてFRBのしもべとなっているのです。

(つづく)
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