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日本人の規範

日本国憲法なる占領憲法は我が国の正統典憲ではありません。ですから、無効なのです。我が国の悠久の歴史には天皇陛下を頂点とするご先祖様から受け継いだ國體があります。占領憲法には我が国の國體は反映されておりません。

占領憲法の三大原則なる国民主権、基本的人権、戦争放棄なるものは、我が国の伝統規範から大きくかけ離れており、特にヨーロッパの価値観に由来するものです。これらは個人主義が前提でなければ成り立たない思想です。個人主義の社会では、個人は相互の利害関係だけで結ばれており、また、その総意が一般意志とされています。ここには伝統規範というものが喪失しているのです。つまり、伝統的に先人たちが築いてきたルールや常識、モラルが、個人の利害よりも下位に置かれていると言わざるを得ません。これがルソーに由来する近代ヨーロッパにおける諸問題の根源であり、国王を頂点とする伝統規範を打倒するための革命思想にほかなりません。

また、フランス革命によりブルジョワジーが台頭するのに伴い、個人の欲求を満たすことが善だとされてきました。個人は社会規範に縛られなくなり、自由に何でも欲しいものを手に入れてもよい、という考え方が広まりました。これは現在の大量生産や商業主義に通じる価値観です。あるいは、植民地主義にもつながるかもしれません。

しかし、ヨーロッパ人はこの時点ですでに問題に気づいており、個人主義により揺らいだ伝統規範の代わりとなる拠り所としてやはりキリスト教の役割を再認識したのです。キリスト教が社会規範の支えとなっているので、危機に瀕したかにみえたヨーロッパの社会秩序は何とか保たれているようです。

一方、我が国は仏教国でありますが、どれだけの人がこの教えをきちんと信仰しているでしょうか。日本仏教の代表とされる浄土真宗は原始仏教の教えとは大きく隔たり、本当に仏教と呼んでもいいものなのか、疑問はありますが、少なくとも、寺が中世以降の日本では社会の拠り所であったとも言えます。しかし、今やもはや、葬式坊主丸儲け状態です。神道においても残念ながら賽銭目当ての感が否めません。もはや、我が国においては宗教が社会の拠り所としてどこまで役割を果たしているのか、疑問が残ります。

しかし、我が国には御皇室の伝統に結びつく道徳的価値観が今なお連綿として生き続けているのです。例えば、教育勅語を読むことで、間違いなく全ての日本人がその教えに納得するはずです。あるいは、天皇皇后両陛下のお姿を拝見することで、私たちは日本人としての気品ある生き方を教わることができます。やはり、御皇室はどう考えても、臣民である私たちのお手本であり、日本人としての規範の頂点に位置するご存在です。

しかし、占領憲法が抱える国民主権は、国民が天皇よりも上位に位置するという不遜極まりない思想なのです。主権概念を紐解くと、やはり、そこには神に匹敵する絶対的権力に行き着きます。つまり、国民が神の地位に達したというのが国民主権なのです。そして、占領憲法は密かにこのような不遜な振る舞いを国民に許しているのです。

日本は天皇国です。そして、臣民は天皇陛下皇后両陛下を見習って日本人としての道義を保持し続けなければならないのです。これを阻む占領憲法は日本人を奈落の底に突き落とす誤った道しるべであり、これを憲法と称して用いること自体が恥ずかしいことなのです。ですから、これをいち早く無効宣言し、我が国の正統なる帝国憲法を復元しなければなりません。
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