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青少年のための祭祀の道 =第五十四回 ウラとオモテ=

毎月1日に塾HPに掲載しています 青少年のための祭祀の道
少し遅くなりましたが、こちらには 仮名遣いを現在のなれた形にし、読み仮名を一部付けたものを貼らせていただきます。
基の文章はこちら 塾HP


(青少年のための連載講座) 祭祀の道

           第五十四回 ウラとオモテ

                    南出喜久治
                    平成二十五年九月一日記す

わがうらの やすけくたもつ すべとはば おやのまつりに まさるものなし
(我が心の 安けく保つ 術問はば 祖先の祭祀に 勝るものなし)

 この講座の第四十三回「ウチとソト」では、これまで対義語(反対語)と思われていた言葉について取り上げました。
 一般には、対義語(反対語)とされていても、「ウチとソト」の区別も厳密に考えると簡単ではないように、二者択一的、二元論的に区別出来そうなものが、実際には、そう単純明快には出来ないものが世の中には沢山あるということです。
 このような言葉は、「デジタルとアナログ」、「ストックとフロー」、「直線と曲線」、「理性と本能」、「静と動」、「表と裏」、「前と後」、「ハレ(晴)とケ(穢)」、「聖と俗」、「精神と物質」、「雄と雌」など、他にも数多くあります。
 「アマとアメ」(第五十二回)、「オキテとノリ」(第五十三回)と連続して、これらと同じ視点に基づいて取り上げてきましたが、今回は、その締めくくりとして「ウラとオモテ」について述べてみます。

 結論を言えば、「ウラとオモテ」とは、「ウチとソト」の区別を形而上的(けいじじょうてき)に捉えた区別ではないかと思っています。

 「ウラ」とは、ココロ(心)のことであり、漢字語では、裏、裡、浦、占、卜もすべてウラと読みますが、これらは同語源の言葉です。「心」と同様に、裏、裡、浦、占、卜も、隠れたもの、隠れた所、見えないものだからです。ウレ(末)が変化してウラと読むことがありますが、これは語源も異なり意味も違いますので、ここでは省きます。

 ウラは、ココロのことですが、もっと詳しく言えば、意識して隠すつもりはなくても表面に表れずに隠れている心のことです。これは、「シタ」(表面に表すまいとしてこらえて隠している心)とは異なります。シタとは、つまり下心(したごころ)のことです。

 他方、オモテとは、オモ(面)+テ(接尾語・方向)です。ウラテ、ヨコテ、カミテ、シモテなどに対する言葉です。オモ(面)のモ(正面)とは、セ(背面)の反対の意味です。
 シタのように、意図的に表面に表すことを隠さなければ、オモヒ(思ひ)は顔に表れるので、オモヒとは、「面霊」のことです。オモテ(表)とは、顔面に向く方向ですから、オモヒ(思ひ、面霊)と同源です。普通の場合は、思う事が顔に表れるのです。
 「目は口ほどに物を言う」とは、自然と顔に表れる思い(感情)を目つきによって言葉で伝える以上に意識的に表現することを意味します。

 このように見てくると、ココロといふそれ自体は直接に見えないものには、次の三つの種類があることになります。①「ウラ」(意識して隠すつもりはなくても表面に表れずに隠れている心)、②「シタ」(表面に表すまいとしてこらへて隠している心)、③「オモヒ」(自然に表れたり、あるいは意識的に表面に表すことができる心)の三つです。

 ウラは、意識的に表面に表すまいとする努力が加はるために表面に出ないだけで、その努力をしなければ自然と表面で出てくるココロです。ですから、ココロには、「表面に表れることがないココロ」と、「表面に表れることがあるココロ」の二種類があり、後者には、さらにシタとオモヒとの二種類があり、合計で三種類あるということです。

 他人にココロを伝え、あるいはこれを他人には伝えないという選択は、コトノハ(言葉、言語)を用いる場合は容易にできます。コトノハで表現するか否かは、デジタル的に選択できます。これに対して、シタとオモヒは、コトノハ(言葉)以外である表情で左右されるものですから、それが隠し切れたか否か、伝え切れたか否か、これが相手に伝わったか否か、というようないくつかの不確定要素で左右されます。その意味ではアナログ的です。つまり、コトノハは、「綸言、汗の如し」のようなデジタル世界ですが、ココロはアナログ世界にあると言えます。
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