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さらば、日本国憲法。

とりわけ、団塊の世代に属する人、だいたい60代以上の人たちは、これまで日本国憲法が良い憲法だと信じ、戦後民主主義に揺るぎない信頼をおいてきたことと思います。日本が敗戦を迎え、戦争の惨禍を二度と繰り返さないためにも、平和憲法と称される日本国憲法の精神に感動したのだと思います。そのお気持ちは十分に尊重いたします。決して間違ってはおりません。ですから、日本国憲法が無効だと言われることで、大変気分を害されることと思います。

しかし、誠に僭越ながら申し上げさせていただきますが、事実から目を背けてはなりません。事実を受け入れることこそが日本人としての義務であり、未来を正しい方向に導くための原則です。

新たな資料が見つかることで、占領憲法の制定過程をめぐる真相が明るみに出てまいりました。詳細は南出喜久治氏の著書に書かれておりますので省きますが、この制定過程の経緯を踏まえたうえでなおも占領憲法が有効であり、これこそが日本人の規範であるというのであれば、現実を生きておられない、としか言いようがありません。

戦後教育を受けてきた私たちは「自由と民主主義」という価値観を大切にしてきました。これには私も賛同します。異論はありません。しかし、これが国民主権に基づいていると考えているのであれば、少し事情は異なってきます。では、国民主権とは一体何でしょうか。その本当の意味を踏まえなければならないと思います。

国民主権とは元来日本にはない概念であり、「神にも匹敵する国民の絶対的権力を意味し、国民の一存で国や国王、伝統を破壊することを許す」ものです。

この意味は戦後教育の中で曖昧にされてきました。戦後、国家観について私たちが受けてきた教育のほとんどが捏造であったと言わざるを得ません。様々な言葉の意味のごまかしがあったのです。例えば、自衛隊(本当は軍隊)がその代表ですが、同じようにごまかしたまま流布しているのが国民主権という言葉です。

また、憲法そのものの定義もごまかされてきました。多くの人は憲法とは国を監視したり縛るものであると説明しますが、もう一つ大事な側面があります。それは伝統的な規範に基づく国家形態を明文化することです。例えば、古くは聖徳太子の一七条憲法を始め、鎌倉時代の御成敗式目に至るまで、これまでの慣習を踏まえてそれを明文化するという「確認作業」でした。帝国憲法も同じです。法というものは目に見えない慣習であり、それをあえて文章化して、明記したものが憲法です。この側面を忘れてはなりません。

日本国憲法は国家を監視し縛るという要素は十二分に満たしているものの、これまでの伝統的な慣習を明文化するという面では全く不十分です。むしろ、伝統的慣習から大きく逸脱した内容です。日本人であればこれを到底容認することはできません。中でも、とりわけ容認できないのが国民主権です。君主を排除する権利を国民が有することは日本人の伝統規範から大きく外れています。なぜ、このようなものが憲法に明記されているのか、疑問を持つべきです。

ところが、国民主権という言葉の概念が曖昧にされてきたことから、これまで誰もがそれを「自由」「民主主義」「参政権」などと混同してきました。これがごまかしです。学者ですら同様のごまかしをしてきました。要するに、戦後の国家観とは、憲法としての要件を満たしていない日本国憲法をどのようにごまかすかに終始してきたのです。ごまかしの68年でした。ですから、軍隊を自衛隊と言ってみたり、元首を象徴と言ってみたりしてきたのです。国民主権も同じです。本来の意味があるにもかかわらず、その意味を覆い隠し誤用してきました。それに、国家主権のない時代にどうして国民が主権を発動することができるのでしょうか。マッカーサーのプレゼントでしょうか?冗談はいい加減にして欲しいものです。

これらのごまかしは戦後、講和を締結した時点でいち早く解決すべき問題だったはずです。しかし、目先の幸せと繁栄を謳歌するために、これらの問題を先送りしてしまったのは政治家の責任です。

戦後、国法学の議論において国民主権という概念は曖昧にされてきました。これの本来の意味が一体何なのかということを踏まえた上でないと、他の概念にすり替わって議論がなされます。国民主権は国家破壊を容認する考え方です。このようなことは理念としても現実としても認められないわけですし、国民は国を守らなければなりません。

国を守れない概念が憲法の三大原則の一つとは一体どういうことでしょうか。このことをもっと真剣に考えてみてください。よく団塊の世代の方は日本国憲法の内容は素晴らしい理想に満ち溢れていると言います。確かにそうですが、前文をはじめ、戦争放棄、国民主権といった原則のほとんどは実現不可能な内容です。

これらのことから、日本国憲法はもはや守るべき対象ではなく、その役割を終えたものと認識すべき段階に来ています。この事実を踏まえたうえで、あすの日本を建設していくことが日本人としての責務であり、道義であると考えます。

 
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同感です

おっしゃる通り、日本国憲法といわれているモノは既にその役割を終えている、と言って良いでしょう。

しかし問題は、その後、日本の国柄に相応しい国家システム構築の為に、その法的ツールを束ねる憲法を如何にするか?ということでしょうね。

国民主権をちっとも批判できていない

帝國憲法に帰りたい、等という人は現実も歴史も見えてないやうに思へます。
<http://blogs.yahoo.co.jp/gahahayoumustbekidding/32140480.html>

No title

コメントありがとうございます。
法的ツールを束ねる憲法とは帝国憲法ということになります。
これを基にして帝国憲法を現在に合うように改正する必要があります。その具体的手順に関しては南出喜久治氏の著書にも書かれていますので、ご確認ください。

No title

コメントありがとうございます。
帝国憲法に帰りたいというよりも、日本国憲法が無効なので、必然的に帝国憲法が存在し、その現存を確認するということです。

大日本帝國憲法の改定は良いが・・・

ここには二つの問題があります。

結局、どのように大日本帝國憲法を改定するのか?という問題が一つ。

もう一つは、大日本帝國憲法の現存とはどのような意味なのか?という問題がある。

この二点に於いて納得できる論に出会ったことがありません。

ここが最大のポイントですね。

No title

帝国憲法の改正手順に関しましては下記のURLをごらんください。19.以降に大まかではありますが述べられています。
http://shishi.kokutaigoji.com/?page_id=49



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