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若者の輝きを取り戻せ!!

本日、私の塾生ブログの更新日に当たるが、日頃から思っていることを筆者の独断と偏見を込めて書かせていただいた。従って、國體護持塾の公式見解ではないことをお断りしておきたい。

しかし、以下、述べることは國體護持塾での活動を通じて得た認識である。従って、今回、塾生ブログ記事として書かせていただくことにした。

日教組が日本の教育を悪くしたことに異論はないが、今の学生の無気力やコミュニケーション能力の欠如は一部企業が生み出したとも考えられる。これは日教組の責任とは考えられない。

教師である私は教室に入ると、学生が友達とほとんど話もせず、「しーん」と静まり返っているのを見かけることが多い。そして携帯やゲームを一人でコソコソとやっている。こんなものを若い頃からやっていると、コミュニケーション能力など育つはずもない。

今の学生と話してみると、恐ろしく話が続かないし、内容もつまらない。少し、話が続いたと思っても、突然、異常に傲慢なことを口走ったりする。若者とはこういうものであるが、異常な性格が形成されているのではないかと心配になる。おそらく自閉症気質の若者が増えているのであろう。

企業は「最近の学生はコミュニケーション能力がなくて困る」などと平気で言う。実に、企業らしい目先のことしか見えていない無責任な発言である。企業が社会的存在であるのなら、当然払うべき社会秩序への配慮はあってしかるべきである。しかし、それも実に脆弱なものでしかなく、利益一辺倒で子供にくだらないものを売りつけて、コミュニケーション能力を削いでおきながら、今更、何を言っているのであろうか。子供の人格形成の貴重な時期に、極めて有害な機器や玩具を売りつけたのは企業が利益を貪るためである。

今の学生が無気力なのは、生まれながらにして消費者にほかならず、かつ商品としてしか扱われないからである。社会に出るまでは「おもちゃ」「レジャー」を与え続けられ、「客」としてもてはやされるのと引き換えに金銭を支払う。また、社会に出れば、「商品」「マスコット」としてできるだけ安価に利用される。人とは本来社会に貢献することで貴い喜びを感じるものである。しかし、金欲に狂った財界人のために無目的な演技を「演じさせられる」のである。仕事に対する誇りなどよりもいかに「それらしく」演じるかが評価に値する。従って、本質において無気力が蔓延る。当然、それは若者の希望を失わせる。

今の若者が無気力であり、コミュニケーションが取れないのは、人間として扱われてこなかったからである。有害なモノを与えられ人格が発達しないまま大人になり、空々しい「演技」をするための社会人となる。生きる喜びなどどこにもない。当然、無気力になり異常性格が形成される。

今の日本の企業風土には「社会貢献」「人格の完成」という概念が異常なまでに希薄である。また、こういった企業のあり方に全く異議を唱えない教育関係者の腰抜けぶりにも呆れてしまう。教師もサラリーマン化していまい、生徒を「客」と見紛っているのが現状である。これを脱却するのは教育改革ではなく、教育とは何なのか、また、教育の目的とは何なのかについての明確な答えを持っていなかればならない。これを見失ったまま改革をすることで教育は漂流する。

では、教育とは何か。それは人格を育むことである。教育の目的とは何か。それは国家、社会、世界を作るためである。故に、正しい人格を有する者が国家、社会、世界に貢献することが教育の最終目的である。

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