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おさなここち 『こぶとりじいさん』-2/2

昨日につづき、南出喜久治先生が子供向けに書いていらっしゃる おさなここち から
『こぶとりじいさん』 を2回に分けて掲載しています。

うけひのもり学園HP

そして、鬼にはこぶが右こぶじいさんにとって大事なものであると思って、それを次の晩にも来てもらうためにカタに取る(質草にする)事にしたのですから、もし、右こぶじいさんが本心からこぶに強い愛着があると言うのであれば、それを約束通り次の晩に取り返しに行かなかったのはなぜなのですか。鬼が左こぶじいさんと右こぶじいさんとを 見誤ったはずはないのに、右こぶじいさんのこぶをどうして右こぶじいさんが来た時まで預かっておかなかったのですか。
などなど、色んなことが言われてきました。太宰治という作家も、「おとぎぞうし」という作品のなかで「こぶとり」を取り上げ、独特のユーモアで「こぶとり」話をからかっています。
 では、私たちは、このこぶとり話をどのように受け止めたら良いのでしょうか。これまで疑問が出されて来たように、例え、へそ曲がりとか、理屈っぽいと思われても考えて見る必要はあります。当たり前の事や理解できない事を、なぜだろう、どうしてそうなるのだろう、と考える事は大切です。エジソンが小学校の先生を質問攻めにするために小学校に行けなくなったとする逸話や、そのような性格であったために、ついには発明王と呼ばれる人になったのも、誰もが疑わない、当たり前と思われたことにも疑問を持ち、自分が納得するまで追求し、その素朴な疑問を大事にしたためです。 しかし、だからと言って、昔から伝わっている話を今の知識だけで判断して、迷信だ、非科学的だ等と即断して否定したりすることは出来ません。
それこ非科学的な態度なのです。真理を伝える場合、たとえ話をする事が多いのです。むしろ、例え話でなければ真理が伝えられない事もあるのです。
古くから長く語り継がれてきた事には、何らかの意味があるのです。話の形式や内容に拘る事なく、話の持っている雰囲気をうけとめ、その話にたくされた深い意味を感じ取ることが大切です。
 この話の原作的な話が宇治拾遺物語にありますが、そこには、「ものうらやみはせまじきこと」(恨んだり妬んだりしないこと)の教えとして受け止められています。 他にも、正直で欲のないもの得をして、いじわるで欲張りな者が損をするという事で話が組み立てられているとする考えも語られています。
 また、こんな考えもあります。 右こぶと左こぶというのは、右脳と左脳の例えであるとするものです。優れた人になるには、図形や空間構成などの認識、音楽感覚、直感力などの働きをする「右脳」と、言語や文字、計算などの情報認識、論理的な判断力などの働きをする「左脳」とのバランスが大切であり、左脳偏重では不幸になる事を昔の人は知っていたと思われます。右脳と左脳とのバランスは「本能」と「理性」、「家族」と「個人」、「祭祀」と「宗教」のバランスとも共通します。これは、この話についての私の受け止め方ですが、皆さんもこの話を題材に色々と考えてみてください。

平成22年12月21日記す
南出 喜久治
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