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東北関東大震災 -絶対に忘れてはならないこと-


平成23年3月13日午後2時46分、東北関東地方で大地震が発生した。死者・行方不明者をあわせて2万人を超す大惨事となり、我が国は戦後最大の自然災害に見舞われた。これほどの大惨事にもかかわらず、被災地では略奪行為はなく、皆が助け合い、直面する苦難を耐え忍んでいる。被災者は震災後、天皇陛下より賜ったご詔勅(お言葉)にある「これからも皆が相携え,いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」を忠実に守っている。今回、幸い被害を免れた西日本の人々も陛下のご詔勅を真摯に受け止め、多くの支援の手を差し伸べている。このような日本人の行動を海外のメディアも絶賛している。しかし、あまり報道されないが、今回の震災で忘れてはならない人たちがいる。皆さんも気になっていると思うが、国家臣民のためにわが身を顧みず、放射能に立ち向かう自衛官、消防隊員、東京電力など現場の人間たちである。彼らは人々が「平和ボケ」の最中にあるこの時代に、命を賭す覚悟を決めたのである。それにしても、彼らのこの覚悟の原動力はどこから来るのか。以下、南出先生の文章を引用した。参考になるのではないだろうか。

「草食動物の親子が肉食猛獣に襲われたとき、親が子を守ろうとして、自らが猛獣のおとりとなる行動は、理性論では到底説明がつかない。人の親子についても、同じような危機的状況に置かれた場合、これと同樣の行動をとる。このことは、理性論から生まれる個人主義と人権論からすると、「命の大切さ」を教え、自己の命は何にも代え難いから、親が子のために自己の生命と身體を犧牲することなどはあり得ないことになる。しかし、この行動は、種族保存本能に根ざしたものであり、理性によるものではない。これは、種族保存本能(種族防衛本能)が自己保存本能(自己防衛本能)を凌駕する指令体系であることを意味する。
 自己の利益を追求する活動よりも、世のため人のために見返りを求めずに奉仕する活動をするときに、人は精の高揚を感じる。自利よりも利他に快感を得ることは理性では説明が着かない。これも本能のなせる業である。
 以上によれば、本能の序列(本能体系)は、[自己保存(維持)本能<家族保存(維持)及び秩序維持本能<種族保存(維持)及び秩序維持本能<社会秩序維持本能<国家防衛本能]ということになる。また、自己保存本能についても、これが単に危険を回避することだけの行動性向であると理解することはできない。なぜならば、子供には、親が制止しても、木を登り巖を這い上がり、海や川に飛び込むなどして、その達成感を味うという冒険心や好奇心を備えているからである。もし、自己保存本能が単純な危険回避性向であるとすれば、この子供の行動は自己保存本能と矛盾することになる。                   (中略)
 このように考察してくると、本能とは快楽を求めて不快を避けるといったような単純な「欲望」ではなく、むしろそれを押し殺してまで種族と集団を守ろうとするもので、「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁(志士仁人は、生を求めて以て害することなく、身を殺して仁を成すことあり)」(論語)に連なる高い性の源泉となる本能の指令であることが解る。」

本能とはこのように崇高なものである。今のところ、果敢に放射能の危険に挑む現場の人たちの姿は報道されない。しかし、彼らが人として最も尊い任務を果たしていることだけは疑いようのない事実である。想像したくないが、不幸にも彼らのうちに犠牲者が出たとしても、彼らをただの犠牲者として片づけることができるだろうか?彼らは人として最も崇高である本能の働きにより、我が国を滅亡の危機から救おうと、意を決したのではないだろうか。この行動に敬意を表せない国であれば、本当に滅びることになろう。

南出喜久治著「くにからのみち」より引用
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