スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【転載】主権回復を祝い、無効論定着す 西村真悟議員のメルマガより

西村真悟議員のメールマガジンより転載です。

96条の改正についての実のない議論が続いていますが、ぶれない発言をされている国会議員の方々の発言を拝見すると少しほっとしますね。

下記転載

主権回復を祝い、無効論定着す
                       No.851 平成25年 5月 5日(日)

 五月一日夜には、東京の憲政記念館で西村塾総会を開き、
中山恭子参議院議員のご挨拶の後に国政報告をする。
 そして、「明後日、五月三日には、どの旗を揚げようか」と話を結んだ。
 「どの旗」とは、祝日に玄関に立てる国旗を「半旗」にするかどうかということである。
 それから深夜に堺に帰り、翌日の二日は、朝から北海道に飛び札幌から旭川を巡った。
 目的は、同志に会い、講演をすることだ。
 札幌は、三年連続五月三日に訪れ、「憲法講演」をしている。以前は、北海道の同志が「赤の広場」と呼んでいる大通り公園やすすき野と狸穴通りの角で街頭演説会をしたが、今年は街頭演説はなかった。
 本年は、街頭どころではなく、北海道の人も寒い寒いと言っている。内地は桜が散って新緑の世界になっているが、北海道は、梅も桜も咲いていない雪と氷雨の世界だった。

(第一の視点) 
 さて、憲法を考える場合、さらに広く、法を考える場合には、
「不文の法」と「成文の法」
が存在することをまず脳裏においておかねばならない。
 前者(不文法)は、人の社会生活状況の変化に従って流動していて後者(成文法)の解釈に影響を与える。そして、前者と後者の文言が甚だしく乖離してくると、後者は捨てられる。つまり、死文化する。法として機能しなくなる。
 例えば、奈良時代に、大宝律令、養老律令というのがあった。私は読んだこともない。
 しかし、この律令の文言と社会生活実態が合わなくなったときに何が起こったか。「令外の官」が設けられた。これは、律令の外の官ということ、つまり武装組織、武士だ。
 さらに時代が移り、社会生活実態と律令の文言が合わなくなると「関東御成敗式目」が武藏守北条泰時によってつくられる。この時泰時は次のような趣旨のことを言う。
「京都には、律令というのがあるらしいが、我々はそんなものは読んだこともないし全く知らない。
 従って、こんなもので裁かれれば、山に入って猟師の仕掛けた獣穴(ししあな)に墜ちるようなものだ。よって、これからは今まで我々が従ってきた頼朝殿の裁定を基本にして生きてゆこう」

 つまり、北条泰時は、支那の唐の制度を持ち込んだ律令(成文法)よりも、自分たちの生活実態すなわち歴史と伝統のなかからできあがっている先例、慣例、慣習(不文法)を法としたのだ。そして、この関東御成敗式目は、江戸が終わって明治になっても寺子屋で教えられ、庶民の規範、生きた法となった。

そこで、この大宝律令・養老律令と関東御成敗式目の関係を、現在の日本国憲法と社会生活実態の関係と対比して考えれば、例えば、自衛隊は「令外の官」として始まったと言える。
 つまり、日本国憲法は当初から現実の社会生活実態(国際・国内情勢)と合わなくなっていて、まず「日本国憲法外の官」である自衛隊つまり軍隊を国民が認めたということである。
 そして、現在は、いつの間にか、泰時が言う「そんなので律せられたら獣穴に墜ちるどころが日本民族が支那に呑み込まれてなくなるから、京都の馬鹿(社民・共産や左翼)はほっといて、我らは、我らの常識に従って生きていこう」という関東御成敗式目制定の時代をとっくに過ぎた段階にある。
 では、この通りであるならば、
 かつての大宝律令・養老律令がそうであったように、
 日本国憲法もそうであろう。
 つまり、死文化している。

 即ち、我々日本国民、日本民族の、憲法は、
 日本国憲法と題する文章のなかにあるのではなく、
 我々の歴史と伝統と社会生活実態のなかにある。

(第二の視点)
 次に、法一般ではなく、特に日本国憲法を考える場合、この一点を避けて通ることはできない。即ち、成立過程からして、
 果たして「有効」なのか「無効」なのか。

 これは、「無効」だ。

 黒いカラスを白いという人や、東京大学の教授(宮沢義俊)のように、ないものをあるという人(彼は昭和二十年八月十五日にクーデターがあったと言っている)はほっておこう。
 
 そもそも、
 我が国に主権がないときに、我が国はどうして憲法を制定できるのか。
 我が国に主権がないときに、占領軍兵士が憲法を書き、
 我が国に主権がないときに、それを公布しそれを施行した。
 これがどうして「有効」なのか。

 本年四月二十八日、我が国政府は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、六十一年前の四月二十八日に、我が国に主権が回復されたことを祝った。
 まさに六十一年前の四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効し、我が国は被占領国状態から主権を回復し独立国となったのである。即ち、その前の昭和二十年九月二日の降伏文書調印から同二十七年四月二十八日までの間、我が国は被占領国であり、我が国は主権を奪われていた。
 そして、この被占領期間の間に、日本国憲法は外国人が書き、公布し施行された。
 
 先日四月二十八日、我が国が公式にこの日を主権回復の日として祝ったこと、これ即ち、我が国が公式に、日本国憲法は我が国に主権のないときに書かれたもの、即ち、無効の憲法であると、公式に認めたことなのだ。

 さらに、重大なもう一つの観点、からも日本国憲法は無効である。
 その観点とは、近代国際法が誕生して四百年、国民国家を単位とする国際秩序の形成という「国際文明の段階」から見ても、日本国憲法は無効である。
 これは、こういうことである。
 判りやすい具体的なあり得べき例をあげる。
 将来、支那の人民解放軍が、朝鮮半島の三十八度線を突破して一挙に南下し朝鮮半島全体を席巻し軍事支配を完了したとする。そして、「統一朝鮮民主主義人民共和国憲法」を公布し施行した。
 諸兄姉、この憲法は有効か無効か、
 文明の正義の名において判断されたい。
 
 無効である。諸兄姉がこう判断されたなら、日本国憲法を有効としてこの無効の判断ができるか考えられたい。
 文明の正義の観点から、
 統一朝鮮民主主義人民共和国憲法が無効ならば、日本国憲法も無効なのだ。
 日本国憲法が無効だから統一朝鮮民主主義人民共和国憲法も無効なのだ。
 日本国憲法無効の判断が、軍事独裁国家の暴挙を抑止し将来にわたって「文明の正義」を維持する力となるのだ。

 以上の考えを引っ提げて、季節外れの雪の北海道で講演しまた同志と懇談したが、
 四月二十八日に、公的に主権回復の日を祝ったことは、
 即ち、公的に日本国憲法無効としたことに他ならないとの確信を深めた次第である。
 なお、憲法改正論は、こうあるべきだ、あああるべきだの、政策論であるから、大いに活発に議論を発展させていくことが、国家のために有益である。
(北海道や各地での懇談の内容は、いつか「閑話」で書きたい)
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。