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為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり

引き続き平成21年春に南出喜久治先生が九州の講演会でお話された内容をこちらに挙げさせて頂きます。分割しております。質疑応答部分、第8回目 最終回 です。


一番大事なことは、また改正論の話になるけども改正論者が、無効論は理屈は正しいけれど、現実的で無いとかそんな無理とかの言い方をするやつが多いんですよ。

今の話や、一番無理なんは何やと言ったら、脱藩もできひん人間の事情と同じでよく似てる。

脱藩しても浮いてしまう。食うに困るし、今までの関係を全部ほかさなあかん。

だからできひん言ってる、自分ができひんことを言ってる。

自分がそんなことを選択するのが現実的でないと言って、否定するわけ。

改正論者は同じ、自分が今までやってきた運動の仲間とか先輩とか団体の関係で、改正論をやってきたのにいきなり無効論を言ってしまったら自分が浮かび上がって仲間外れにされる。だから、現実的やないと言うんですよ。

彼らはそれを乗り越えてく人間が増えてきたら現実的になるのに自分の問題として現実的でないと言ってるわけ、志も勇気も無い人間が現実的でないと言うとんねんから、そんな、志も勇気の無い人間の現実性なんてどうでもええんです。

こちらとしては志と勇気のある人間の現実性こそが一番尊いんであって、二宮尊徳だって、藩の命令で村を再興させたと言ったって、普通で言ったら無理難題。
完全にゴーストタウンみたいなった村、もう年寄りばっかり。今の現状に似てるやない。

年寄りばっかりで何の意欲もなくて、年貢も納められへんような廃村状態になってる所、二宮尊徳に命令でそっち行かして、何らかの経済原理的にかき立てるようにして、手法はいろいろある。失敗もあんねんけど、実際のところ400例ぐらいの農村を建て直してるんです。

半端な数の農村を建て直したんじゃないんだから。

小学校の銅像に、貧弱な子が薪をしょってるけれど、二宮金次郎っていう人はものすごい体格、180cm以上あるような巨漢の人なんですよ。

西郷隆盛ぐらいの巨漢の人なんですよ。

薪木持って本読んでというイメージしか無いからあの貧弱な子が…頑張ったんやでって言うけど、そんなん違う。

イメージ的には全然違う。そんなんやったら小学校でうけへんやん。
こんな巨漢の人が、薪をしょって歩きながら本読んでるわけやから、こんなんして意欲的に、自分の今後の生活の為とか自分の学問、学問というのは実の成る実学として本を読んでるんですよ、寸暇を惜しんで。

そういうバイタリティーがあったからそこまでできたわけでしょ、だからイメージとは違うんやけど、そういう意味から言うたら、志と勇気があれば、為せば成るなんですよ。

「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」言うけど、まさにそう。

初めから諦めたら終わり。

だからそういうことどんどん発信していかないと。
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