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祭祀の道 第四十九回 太陽と循環無端

毎月1日に國體護持塾 HPで公開しています、南出喜久治先生の祭祀の道
こちらのブログにはかな遣いを変えたものを転載しています。

元の文章はこちら
第四十九回:太陽と循環無端【祭祀の道】(25.04.01)





           第四十九回 太陽と循環無端

                    南出喜久治
                    平成二十五年四月一日記す

とつくにで たまおしごがね まつらるる はにやすひこと ひめのふたかみ
(外つ国で球押黄金虫祭らるる波邇夜須毘古神と毘売神の二神)

 古代エジプトにおける太陽信仰は、太陽が昇って沈むまでを三つに分けてそれぞれ信仰の対象としていました。日の出の太陽は青年の太陽である太陽神ケペラ、正午の太陽は壮年の神である太陽神レー、日没の太陽は老年の太陽神アツムとしました。これが日々繰り返される再生信仰です。

 特に、ケペラは、古代エジプトの天地創造における太陽神として崇められ、その象徴である護符としてスカラベがあります。このスカラベというのは球押黄金虫(たまおしこがねむし)という甲虫です。球押黄金虫というのは、動物や人の糞に群がり、頭と前肢で糞を球体に丸め、これを後肢で転がして地中に埋めて、その中に卵を産み付けます。そして、その球糞から卵から孵った(かえった)球押黄金虫が出てくることから、古代エジプトでは、これを創造神の化神、不滅の魂として、自然の創造力の象徴、天地創造の太陽神ケペラの象徴としました。

 動物が排泄する糞尿から再生する究極的な輪廻の姿が永遠の命を意味することを古代エジプト人は受け止めたのですが、このようなことは、記紀にも説かれています。
 イザナミノミコトがカグツチノカミ(火の神)を産んだため、ホト(女陰)を火傷して病臥していたとき、その糞(屎)からハニヤスヒコノカミ(埴安彦神)とハニヤスヒメノカミ(埴安姫神)が生まれたのです。尿(ユマリ)にも神格があり、これらは五穀の実りをもたらす神として、貴い神格がある説くのが記紀の思想なのです。生命の営みに無駄はなく、廃棄すべき無価値物はありません。循環無端の世界なのです。ですから、古代エジプト人は祭祀の民であったということになります。

 我が国では、糞尿は、武士の世(中世)からは自家肥料として大いに活用されてきました。そして、戦国時代以降の近世においては、火薬原料(鉄砲火薬の硝石の生産)となり、祭祀の道第十回(祭祀と家族)でも述べましたが、江戸期では人糞が肥料用商品として盛んに売買されるに至りました。これこそ、糞尿が神格を備えた貴重なものであることを実践してきた訳です。
 また、近代(明治以降)でも糞尿は肥料として商品とされてきましたが、現代では殆ど廃棄物とされてしまっています。しかし、将来においては、糞尿に神格があることを踏まえて、この有効活用が産業と経済における重大な課題として託されているのだと思っています。
 ともあれ、GHQの占領下では、これまで農業で用いていた人糞肥料は禁止の方向へと向かい、これに代えて化学肥料に依存することとなりました。その原因は、たわいないことが切っ掛けでした。GHQの将校が農村を視察した際、畑で下肥を撒いている光景を見て、通訳に尋ねました。通訳は、人糞を発酵させたものを下肥として肥料に使っていると答へると、そんな汚いものを肥料にした野菜をアメリカ人に食べさせるつもりか、と激怒したことから人糞肥料の禁止へと向かったのです。アメリカ人には、古代エジプト人や我が国の智恵がなかったため、化学肥料に頼る愚かな方向に陥ってしまったのです。

 これまで人糞尿(下肥)は、肥溜で嫌気腐敗させて基肥や追肥として用いられてきました。人糞は、汚泥を混ぜて発酵させると「堆肥」に近い有機質肥料になります。また、家畜糞尿に稲藁や乾燥させた草を混ぜて発酵させると堆肥になるのです。確かに、生の糞尿を撒いても作物は育ちますが、無発酵人糞では土壌に細菌や害虫(線虫など)が繁殖して土壌に棲む土着菌などの土壌菌を死滅させたりします。

 そのため殺菌と殺虫のために農薬類を使うことによってさらに土壌が汚染され土壌菌に影響を与え、農薬類の周囲への飛散や地下水への浸透などの二次被害を生むことになります。つまり、農薬類のため土壌菌などが死滅するので地力が低下し、その分だけ化学肥料を大量投与することになり、そのことからさらに地力が低下するという悪循環を生むことになります。支那の農業がこのような悪循環となって、我が国に輸入される農作物が農薬漬けになっていることはご承知のとおりです。

 天照大御神が速須佐之男命の為された行為を「悪しき態」とされたとおり、田畑に生の排泄物(糞尿)を撒き散らすのは律令制度においては重罪とされていました。これは、そのことを意味するものです。
 このことを後世に伝えるものとして、「宮田」(みやだ)の伝統です。宮田は、神田、祭田、御供田と呼ばれるもので、神饌米を作る田のことです。この宮田の田植は神聖視されており、汚れを避けます。そのために、村の乙女、子のない女、村落の祭祀を執り行う集団である「宮座」の座衆などが白装束で行い、人糞肥料を用いないのが通例となっているからです。

 支那に現存する最古の字書である『説文解字』には、「土」の字について、「土は地の万物を吐生(はぶ)するものなり」という解説がされています。支那の思想は、土からは勝手に作物が育ち、山には勝手に木が生えるものと考えています。栽培とか植林の意識が希薄です。ですから、支那でも韓国でも、昔は山の木を乱伐したことにより殆どが禿げ山になっていました。植林や栽培の思想と智恵は、近年になって我が国が伝えて広まったものなのです。

 また、支那には、万物の根源を五元素とし、それらの関係や消長によって自然が変化するとする陰陽五行説という思想があって、それには相勝説と相生説がありました。相勝説とは、土木金火水の配列で、「木は土に勝ち、金は木に勝ち、・・・」とするものです。これに対し、相生説というのは、木火土金水の配列で、「木は火を生じ、火は土を生じ、・・・」とするものです。いずれも牽強付会のものですが、思想的な深まりをもたらして我が国にもそれなりに影響を与えました。

 しかし、これがそのまま定着しなかったのは、その影響を受けつつも記紀は、我が国独自の世界観を描き出したからです。それは、土と水と火の関係です。土は、ハニ(埴、糞尿)であり、水を含むために作物を育て、他方で、これに火を通すことによって埴輪(土器)を作り、これによって糧を貯蔵し調理し生活を営むことができるという関係があります。土と水とで作物が育ち木も育ちます。そして、土と火とで金や石が生まれます。土は、水とも火とも交はつてムス(生、産)ものということです。
 そして、さらに、火(太陽)は、土と水でできた地球を育ててきたという関係が一番重要です。

 この火と土水との関係は、祭祀の道第三十四回(祭祀とまほらまと)の冒頭歌である

あめのした つちみづすまる まほらまと おのころしまの たまさきくませ
(八紘 土水統まる 眞秀玉 自轉島(地球)の 玉(靈)幸く增せ)

といふ深い関係を示し、次のことが暗示されます。

 つまり、太陽からは、その内部で起きている核融合によって巨大エネルギーが地球に向かって放出され、これを地球が受け取って万物が育まれます。太陽系のエネルギーは、この核融合によるものであり、核分裂によって得られるエネルギーは、太陽系との整合性がないということです。地球が太陽の雛形であり、太陽が地球を包摂した太陽系としての家族であれば、同じ原理で営まれなければなりません。
 石油や天然ガス、ウランなどは、一部の特定の場所でしか産出しない物質であり稀少物なので、これらに依存することは、その資源の争奪を生みます。そして、戦争が起こります。戦争をなくすためには、精神論や思想では実現しません。これまでの歴史がそれを証明しています。精神論で世界平和思想を説く人は詐欺師であることが歴史的に証明されています。世界のシステムが平和を実現できるものに変えることができなければ、世界平和は実現できません。

 ですから、土と水という世界のどこでも存在する物からエネルギーが取り出せることができる世界になれば、エネルギー争奪紛争は霧散して世界平和が確実に実現します。
 そのためには、太陽原理である常温核融合(CF)の理論と技術革新が必要となります。それは、「細石の巌となりて苔の生すまで」という国歌君が代が太陽系の法則である常温核融合の営みを暗示しているからです。
 これが完成すれば、まほらまとが実現することになります。いまこそ常温核融合の理論と技術に対する偏見を捨て、これを全面的に支援することこそ、自立再生論による世界を実現する一番の近道なのです。
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テーマ : これからの日本
ジャンル : 政治・経済

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