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「自由」ってなに??

世界人権宣言第一条にはこうあります。「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」

世界人権宣言の「自由」という概念ですが、これはもちろん西洋思想が根底にあり、その本質的な意味は圧政や暴力からの解放を意味する場合の「自由」です。従って、一般的に現在の日本人が考える「自由」の意味、つまり「無限の解放」という意味とは少々異なります。また、西洋的な意味においても日本的な意味においても、「自由」は決して宣言により獲得できるものではないはずです。一人ひとりが圧政や暴力を許さないということの具体的な行動が「自由」に近づく方法だと言えるからです。「自由」とは観念で到達できるものではなく、不断の努力により近づくことができると言えるでしょう。

人は生まれながらにして「自由」ではないはずです。生まれたての赤ん坊は「自由」とは無縁ですし、障害をもって生まれてくる人は一生「不自由」な生活を余儀なくされます。人はせいぜい「自由」になる希望を胸に抱くことが許されている程度でしょう。

「自由」という言葉には肯定的なイメージがありますが、完全な「自由」は現実には存在しないものです。人が「自由」であるためには、また「自由」な社会を作るためには、現実において定められた限界を正しく認識し、変な幻想や欲望に惑わされず、誰もが納得できる権威ある規範と秩序を拠り所としなければなりません。

日本人はこのことを深く認識してきたと思います。日本人にとって権威ある規範と秩序を生み出す源泉は教育勅語にもあるように「支え合い」の精神です。日本人にとって国家とは家族です。お互いが家族として支え合うことで、圧政や暴力を食い止めることができ、また、赤ん坊を一人前の大人に育て上げ、障害者の社会参加を可能にします。このとき、人々は「自由」に近づくことができているのです。

江戸時代、自由平等思想を誇っていた西洋人は日本に来て、障害者や盲目の人がたくさん街に出てきていることに驚きました。これは日本が障害者の多い国だったからではありません。街には人を支え合う空気があったため、不遇な人でも比較的容易に街を歩くことができたのです。このことから、「支え合い」が「自由」を獲得するための現実的な方法であることがわかると思います。人は「自由」という言葉に非常に魅力を感じます。しかし、「自由」とは与えられてすでに備わっているものではありません。皆で作り出すものであることを知っておく必要があると思います。
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