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2月10日 旧暦の元旦 =迎春=

おはようございます。
本日は旧暦での元旦にあたります。

ほんの130年前までは、太陰太陽暦を使用していましたので、元旦である本日にみんなが一斉に1つ歳をとり、もうじきくる春をお祝いしていました。

今日は南出喜久治先生の暦についてのお話を貼らせていただきます。

元の全文はこちら 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 第六回 太陰太陽暦と祭祀


さて、明治五年の改暦のことに話を戻しますが、たとへ、太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦(新暦)への改暦を行ふことが時代の趨勢としてこれに抗することができなかつたとしても、何故この時期に行つたかといふことが問はれなければなりません。

 その理由は、一言で言へば、当時の政府が著しい財政難であつたことに原因してゐます。つまり、旧暦によると翌年の明治六年には閏六月があり、十三ヶ月、三百八十四日となつてゐました。このままでは、官吏(公務員)の俸給を十三ヶ月分支払ふことになります。そこで、旧暦の明治五年十二月三日を新暦の明治六年元旦とすれば、明治五年十二月は、一日と二日の二日間しかないので、この十二月分の俸給を支払はずに済みますし、しかも、明治六年は十三ヶ月分の俸給を支払ふところを十二ヶ月分で済ませられるので、向かう一年で二ヶ月分の俸給が節約できるとの計算から、そのやうに計画して実行したのです。こんなことが改暦の動機であつたのは、やるせない思ひがします。

 そもそも暦を決定する権限は、前にも述べましたが、古今東西において「王権(皇権)」に属するものです。それを財政的な理由や諸外国に迎合することを善とした文明開化といふ名の伝統破壊思想によつて犯すことは許されないことなのです。

 それまでは、正月の挨拶には、新年を「初春」、「迎春」、「新春」などの言葉で表現し、これが短歌や俳句の季語にもなつて生活に密着してゐました。しかし、新暦では立春が二月四日ころですから、元旦は真冬であり、「春」ではありません。一年は、春夏秋冬ではなく、冬春夏秋冬であり、冬が始めと終はりに跨つた変則的なものとなつてゐます。そして、冬なのに「初春」といふ季節はずれの挨拶や白々しい季語がまかり通るため、「言霊」と「数霊」が曇り、この季節と暦の「ずれ」により人々は健全な季節感を失つてしまつてゐるのです。

 一年の始まりが正月(睦月)であり、それが春夏秋冬の季節の始まりの春であることからすれば、立春より約三十四日前の何ら意味のない日を元旦としてゐる新暦よりも、農事暦、海洋暦でもある旧暦の方が季節感と合致してゐます。八十八夜とか、二百十日、二百二十日などといふ生活に密着したものも、立春から日数を数へますので、例へ新暦をそのまま継続採用するとしても、元旦を約三十四日ずらして立春を元旦とする暦へと変更すれば、これらの矛盾やズレはなくなり、季節の始まりは春であり、一年の始まりは春正月として、人々の暮らしと営みに伝統の智恵が蘇ることになるはずです。
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