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フランス革命から我が国を考える

「右翼」「左翼」という言葉の出所は1789年のフランス大革命にまでさかのぼる。革命初期の国民議会において、完全な王党派、貴族派、国教派が議場の右側半分を占めていたのに対して、王政に制限を設けるという反体制派が左半分を占めていたことに由来する。この反体制派が後にジャコバン派へと変貌して行き、ロベスピエールなる独裁者を生み出したことはよく知られるとおりである。

では、当時の西ヨーロッパにおける「右翼」と「左翼」の分類において、どちらが民族主義と呼べるのだろうか。意外かもしれないが「左翼」である。少なくとも、歴史的には18世紀後半から19世紀半ばまで、つまり、共産党が本格的に誕生するまで、西ヨーロッパにおける民族主義運動を担っていたのは他ならぬ王制に異議を唱える「左翼」だったのである。理由は明白である。「右翼」は王党派、貴族派を支持する者から構成されており、彼らは国際主義だったからである。我が国のご皇室が日本民族の血を受け継いでいるのとは本質的に事情が異なるのである。

例えば、フランス革命の悲劇のヒロインで有名なマリー・アントワネットはオーストリア出身である。この王妃のドイツ語名はマリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハーナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンある。女帝マリア・テレジアの娘である。当時のオーストリアはプロイセンの脅威を逃れるためにフランスと同盟関係を結ぶ必要があった。それが理由で、マリア・テレジアは政略結婚を画策し、娘をルイ・オーギュスト(後のルイ16世)に嫁がせたのであった。このような例はヨーロッパにはあまりにも多くある。面白い例として、ドイツ・ハノーファー選帝侯ゲオルク1世(ジョージ1世)は英国王室に迎えられ、英国語が出来ずに苦労したと言われている。政略結婚は上層階級の恣意的な営みであり、とりわけ民衆を蔑にする結果となった。この点もフランスでは王室が民衆から見放された要因であると思われる。

一方、民衆はと言うと、国際主義とは無縁の土着の民であった。ゆえに、祖国を体現する民族主義者となり得たのである。近代フランスにおける最初の民族主義運動はもちろん1789年のフランス大革命である。このとき、民衆はお互いに「シトワイアン(市民)」と呼び合い、王権から自由になった民であることを誇りとした。この行動からも、当時のフランスにおいては国王が民族の代表になり得ていないことが窺える。(後に王制は復活する。)

また、フランス革命期において民衆は、王権と深く結びついたカトリックからの脱却が自由を獲得するための要件であると考えていた。従って、カトリックの代りに、新たな宗教として理性信仰が取って代わった。例えば、理性の女神なるものをこしらえて、ノートルダム寺院に運んだり、シャン・ド・マルスではルソーを神だとして崇めたこともあった。このように「理性の祭典」なる催しが盛大に行われたのである。

我々日本人の感覚からすれば、カトリックを否定的に捉え、民族主義を強調するのであれば、土着の民間信仰の神々が登場するであろうが、フランスではそうはならず、理性がその中心に置かれたことは特に着目すべき点であろう。なぜなら、そこにフランス革命が国内的な事件として終わらず、国際的に広まる要因があるからだ。

フランス革命を国際的地位にまで高めた組織は共産党である。1848年に共産党宣言を終えたマルクス、エンゲルスはフランス革命をブルジョワ革命であると位置づけ、それを共産主義革命に至るまでの第一段階と見なした。実際、フランス革命の立役者ダントン、ロベスピエールは弁護士であり、いわゆるブルジョワであった。そして、その第一段階を乗り越えた第二段階の革命が共産主義革命であるとしたのである。この頃から、革命運動は民族主義から脱却し、国際主義(インターナショナル)の色合いを強めたのであった。

しかし、共産主義の源流をフランス革命に見る論は後を絶たない。実際にこの時、フーシエやサン・シモンといった空想社会主義ではなく、共産主義に通じる理論が確立されていたからである。例えば、革命後半にバブーフは共有財産制や土地均分法を主張しており、それを実現するための陰謀を画策していた。しかし、これに国際的な性格を認めるか否かについては判断が分かれるだろうが、いずれにせよ、筆者はフランス革命の共産主義的性格を否定しない。

以上のことを踏まえて我が国の政治力学を見た場合、何が見えるであろうか。私が強調したいことは、「左翼」「革新」=反日、「右翼」「保守」=民族主義という分類があまり意味を持たないということである。ヨーロッパでは「左翼」が民族運動の担い手となった。そして、王制に反対した。その流れが現在の国際共産主義である。しかし、日本の左翼運動の末端の人々は国際主義であるという認識は乏しく、むしろ当時のフランスの民衆に近いのではないだろうか。社会的抑圧や生活苦に悶え苦しみ体制批判をする。そして、何らかの苦痛の原因を体制に見出そうとする意味において、フランス革命と同等であろう。さらに、日本の左翼活動家らは概ね自らを「国民」とは呼ばずに「市民」と呼んでいることもフランス革命との類似点である。彼らは国家から解放されることによって自由が得られると確信しているのであろう。彼らには天皇が不在であるという重大な欠陥があるものの、これは一種の洗脳によるものであることを考慮に入れると、彼らの心情には「民族の解放」と言う意味での民族主義的性格が認められる。

一方、我が国の戦後「保守」はどうであろうか。彼らをやはりフランス革命に準えると王党派と類似していることは確かだ。彼らは天皇陛下とご皇室を尊び、靖国神社に参拝し国防意識にも通じている。国家を守るという意識はとりたてて強い。しかし、彼らに欠けている点は民衆性である。これもフランス革命の「右翼」と類似する。戦後保守には末端の国民の生活の苦しみに親身に応える気配があまり見られない。上層階級の利益だけを考えているのであれば、フランス貴族と変わりない。同じ日本民族であるならば、同胞の苦しみへの共感がもっと芽生えても良いはずだ。彼らは日本人であることを誇りとしながらも、日本に土着する民であるという自覚がどの程度あるのだろうか。

我々が日本に土着する民であるという自覚が芽生えることで、必然的にご皇室が日本民族の宗家であるという意識も芽生える。日本人はこの土地に数千年住み続け、何らかの形でご皇室と血を分け合っているからだ。つまり、マリー・アントワネットのように外国人の娘が突然王室に嫁ぐのとは異なる。しかし、戦後保守は占領憲法下において天皇陛下を象徴として崇めながらも、ややもすれば民族から乖離した地位に置いてはいないだろうか。一神教のごとく抽象的な存在として崇めているのではないだろうか。ご皇室に対して民族の宗家としての縁を実感しながら敬意を払わなければ、国民感情から離れてしまい、フランスのような悲劇がおきないとも限らない。

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