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真正護憲論の概説=帝国憲法復元改正の手続-2/7



真正護憲論の概説=帝国憲法復元改正の手続-1/7はこちら

2 国民主権という嘘
 主権思想というのは、人間が神(God)になる思想のことです。主権とは、絶対かつ万能であり、何ら誤りを犯さず、誰の制約も受けない最高の権限なのです。つまり、主(God)の権利のことです。
 罪刑法定主義を唱へたフォイエルバッハの子、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハが、マルクス、エンゲルス、シュトラウス、 ニーチェなどに後世多大な影響を与えた「キリスト教の本質」を著し、その中で、「人間の唯一の神とは、いまや人間それ自身である。」、「人間が神をつくった。」と述べていますが、これがまさに主権のことなのです。
 これほど傲慢な思想はありません。そして、その主権が国王(国王主権)から国民(国民主権)に委譲されたとして、神→国王→国民へと主権がリレーされたとして、国民主権を唱えるのです。
 帝国憲法も天皇主権だとする真っ赤な嘘の主張をする者がいます。しかし、帝国憲法は、天皇は統治権の総攬者であり、主権者とは規定していません。しかも、天皇と雖も帝国憲法の規定によって統治権を行う(第4条)とありますから、天皇が主権者でないことは明らかなのです。
 そもそも、天皇主権という概念は、帝国憲法にはなく、いわゆる天皇機関説論争において、これに対抗する天皇主権説なるものについて、昭和天皇は、これを否定されていました。侍従武官長であった本庄繁陸軍大将の日記によれば、昭和天皇は、天皇機関説を否定することになれば憲法を改正しなければならなくなり、このような議論をすることこそが皇室の尊厳を冒涜するものとあると仰せられたとあります。もし、天皇主権であるとしても、主権者自らが天皇主権を否定されたことに「承詔必謹」すべきではないでしょうか。
 ところで、この占領憲法の「主権」概念に関して、占領憲法によって國體は変更されたか否かという論争が、宮沢俊義(東京帝国大学法学部教授)と尾高朝雄との間で繰り広げられたことがありました。
 宮沢が、主権とは「政治のあり方を最終的に決定する意志」であり、憲法制定権力の源泉であるとして、その権力的要素を強調し、占領憲法により國體は変更されたとするのに対して、尾高は、主権とは正当な政治理念を表現する「正義の支配」であり、「ノモス」(法もしくは法の根本原理)という理念的要素を強調して、占領憲法は國體の変更を伴わないとしたのです。尾高の主権論は、「ノモス主権論」と呼ばれました。
 ノモス主権論は、「法の支配」、「コモンローの支配」の理念と共通するものです。それゆえ、天皇と雖も國體(規範國體)の下にある我が国は、あえて「主権」概念を用いる説明をするとすれば、それは「國體主権」の国家であると認識できるものなのです。
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