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本能を鍛えるから理性が育つⅡ

*本能強化教育
 昨今の「少子化」というのは、その前提に「劣子化」、すなわち、本来的に子孫に備わる
べき民族の生命力が劣化しているのです。教養な徳性は云うに及ばず、戦前までの日
本人の民度の高さと凛々しさを比較しますと、現代日本人は、度が過ぎたぜいたくと
拝金と快楽に溺れて教養と徳性を低下させ、その民度が著しく低くなり、自堕落に
なってきていることは明らかです。「少子化」を問題にする前に、「劣子化」という、民族自体が劣化していることこそが問題なのだということです。

その結果、親殺し、子殺し、凶悪犯罪、ニート、無気力、出産意欲や育児意欲の低
下、政治家や公務員や会社経営者などの倫理観と規範意識の喪失、背筋主義の蔓延な
どという、現代社会の病的現象が起こり続けています。

これを根本的に改善治癒させるためには、合理主義による「理性偏重教育」から脱却
し、初等教育での「本能強化教育」による、国体の基礎教育によって民族の蘇生が行わ
なければなりません。「命の大切さ」を教えるというような理性教育は必要ではないの
です。これは最も根源的な自己保存本能であって、本能を強化すれば足りすことであ
り、わざわざ教える必要はありません。むしろ、それよりも高度な「命を捨てて家
族、社会を守る」という種族保存本能などを覚醒させる必要があるのです。

畏敬の念や、惻隠の情などは、本能を強化すれば自然と生まれてきます。それが「本
能の神秘」さでもあります。社会集団の中で生きることの修養がなければ情操は育ち
ません。この修養には、災害その他の有事の際にも対応できる、「教練」を取り入れる
ことが必要です。そして、この修養と一体となった情操教育という土台をしっかりし
なければ、その上に築く理性教育は、壊れやすくなります。

教育において、知育は必要ですが、大正期から始まった知識教養の偏重による「教養
主義」は排除されなければなりません。教養主義は、知識教養の増大を、人格の「進
歩」と錯覚する合理主義に他ならないからです。偏差値教育による偏差値秀才では、
智恵と徳性を備えることができません。「知識」は理性であり、「智恵」は本能で
す。知識だけでは生活はできないのです。また、智恵がなければ徳性は磨かれること
はありません。知識と智恵とは、方向性が異なります。たとえば、「猿も木から落ち
る」ということを知識として教えれば、それは「万有引力の法則」という物理学の理
解に留まります。しかし、これを智恵として教えると、慢心を戒める生活の教訓とな
るということなのです。


南出喜久治 著 「くにからのみち」
P182 本能強化教育より抜粋
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