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-占領典憲パラダイムの転換を求めて-4/11【効力論争】

 このような背景と根拠により、我が国の国法学を主導する憲法学会においても効力論争は続けられた。初代理事長である澤田竹治郎氏と第四代理事長である相原良一氏が中心となった。そして、私は、相原良一博士の推薦で憲法学会に入会したが、相原先生は、効力論争における学説を整理され、それを私が引き継いだ。無効説と有効説を区分し、さらに有効説を始源的有効説と後発的有効説に分類したのである。
 我が国には、外来の法学を物まねするだけで、固有の国法学がない。それを提唱された一人が相原先生であり、それは最終的には『憲法正統論』として著された。
 形式的な意味の憲法である憲法典を実質的な憲法であると同視して、近代合理主義、成文法主義、法実証主義に組み立てられた法学は、制憲権によって憲法が制定されるとする。憲法とは作られた法とするのである。ここに制憲権の主体が主権者であり、これは主権論と不可分一体のものである。我が国でも、このような見解が有力になったのは、特に、占領憲法制定後のことである。しかし、英国の法の支配、我が国においては國體の支配を唱える國體論は、主に、占領憲法無効論を主張する学者によって唱えられてきたのである。
 ところが、最近における真正護憲論への反論らしき見解には、これまでも言われてきたことだが、「憲法違反=無効を肯定しないのが近代法学なのだ、恐れ入ったか!」と強弁する者が現れてきている。確かに、それも手荒で粗野な見解であるにしても、法学における学説の一つであることは否定しない。しかし、ただそれだけである。
 この考え以外は法学ではないと主張したとしても、これを否定する見解も法学における主張である。「憲法典の上に憲法なし。」とするのも、一つの見解に過ぎないのであって、それを主張したからと言って、それによって効力論争が終了して決着が付くことは到底あり得ない。それぞれの学説が検証されてその優劣を競うことになる。
 法学上の見解は、いずれも仮説に過ぎず、これが正しいという証明がなされない限り仮説のままである。法学は、哲学をも取り込んだものであることから、最後は論理的説得力の有無によって決まる。この見解以外は主張してはならないといふ世界は、学問の世界ではない。学説は、権力や法律で規制されるものでもない。学問の世界で、これが絶対的真実であるとする証明もないのに、「この指止まれ、止まらなければ否定する」とする「近代法学」なるものは、社会科学ではなく、傲慢で排他的な宗教である。
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