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國體護持塾は脱原発です。

6月29日、20万人の群衆が首相官邸を取り囲む反原発デモが行われた。また、一昨日も、東京代々木で大規模な反原発集会が行われた。不思議で仕方ないのが、一般的に、保守系の支持者には原発推進派が多いのに対し、革新系の支持者には脱原発の支持者が多い。党派が異なるのと並行して、このように原発への立場がくっきりと分かれているのは、我が国の党派性が政治理念に立脚しているというよりも、経済的側面、あるいは、利権に依存することが多いためであろう。また、同時に疑問に思うのは、脱原発を掲げる科学者は内部被曝の可能性から放射能の危険性を主張するのに対し、原発推進派の科学者は低線量放射能は人体に良いと主張する。科学とは再現性を追求するものであり、結果的に同様の結論が導き出されなければならない。しかし、ここまで主張が異なるということは、科学にも政治党派性が投影されているのだろうか。

では、國體護持塾が原発推進なのか、あるいは、脱原発なのかと問われると、脱原発であると答えたい。國體護持塾は一般的には保守系の政治団体として認知されているが、原発に関しては、一般的な保守系の団体とは主張が異なっている。その理由は國體護持塾が祭祀を大切にしているからである。何万年も毒性が無くならない放射性廃棄物をご先祖様が残してくださったこの美しい日本に、そして、子子孫孫に残すことはできないのである。以下、南出喜久治氏の著書から引用した。

≪次に、世界の「不安定化要因」の第二に挙げられるのは、核兵器の使用及び原子力発電所の事故などによる「放射能の汚染」の可能性である。

核兵器は、地球と世界を破壊する能力がある壊滅兵器であり、局地的な核戦争であっても、対流圈内の大気、海洋、河川、湖沼、土壤、地下水、動植物のみならず、成層圈にも核汚染が拡大するので、地球全体への影響は計り知れない。通常兵器であっても、原発(原子力発電所)に対する狙い撃ちの攻撃や原発に対する着弾によっても同じ事態が起こる。人体はおろか、家畜、食料、水、土壤など生態系全体に壊滅的な影響をもたらすのである。また、埋蔵燃料に代わる代替エネルギーとして開発された原発は、その事故に対する危険管理における技術的・制度的な限界がある。原発の安全性の基準は、基本的には物理化学法則に基づく部品性能と安全裝置の確率計算という工学理論的なもので設定されているに過ぎず、予測を超える大地震、火山活動、飛行機の墜落事故、隕石の墜落、内乱や戦争でのミサイル着弾や爆撃などによる破壞・損傷、内戦やゲリラ活動による破壊、原発管理者の故意又は過失の行為などの自然的要因や人為的要因などは全く予測の範囲外に置かれている。現に、経済産業省は、国内においても、イギリスのウィンズケール原発事故(昭和三十二年)、アメリカのスリー・マイル島原発事故(昭和五十四年)、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(昭和六十一年)などの程度の事故が起こりうる危険性があることを認めており、危険を承知の上で原発を開発していることになる。また、我が国においても、美浜原発二号機の蒸気発生器伝熱管損傷事故(平成三年)、高速増殖炉もんじゅ二次系ナトリウム漏洩事故(平成七年)などや、原発事故ではないがJCO臨界事故(平成十一年)などが起こつている。

原発事故による連鎖的被害は、チェルノブイリ原発事故の事例でも明らかであり、長期に亘って二次被害、三次被害へと次々に被害が拡大し、原爆・水爆などの核兵器による被害と勝るとも劣らないものであるから、少なくとも全世界の核兵器や大量破壊兵器の生産と保有が根絶されない限り、全世界の原発は一基たりとも認めるべきではない。また、核の平和利用と軍事利用とはプルトニウム・リサイクルという、いわば車の両輪の関係であって、研究者や支配者に対して、核の平和利用のみに限定させる有効な方法がない。地球の生存を、何時破棄されるか判らない法律や政治哲学、さらには権力と組織に無抵抗で従順な学者や識者の脆弱な良心なるものに地球の生命を委ねるわけにはいかない。いかなる理由があっても、地球や広範な地域の生態系への危険があるものの所持は、人類と地球の将来のために絶対に禁止するという原則を確立すべきである。非核三原則は、我が国だけでなく、世界の原則とすべきである。》

引用箇所
南出喜久治著『まほらまと』 
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