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真正護憲論のこころ

真正護憲論に接する場合、どのような形であっても良いと思う。私のように、祖国再生に目覚めて、将来は自立再生社会の実現と祭祀復活のためには真正護憲論意外にはない、と思う人がいる。また、真正護憲論を読むことで、占領憲法の正体や帝国憲法を知り、これまで疑問に思っていた占領憲法の制定過程の秘密を知り、自らの歴史知識を満たす人もいるであろう。あるいは、論理的に構築されている真正護憲論の構造に興味を持ち、それを批判検討することに興味を持つ人もいるであろう。私は、まずは多くの人に真正護憲論に興味をもって戴きたく思っている。

しかし、私は真正護憲論を単なる憲法学として、その解釈にのみ興味を持つことに違和感を覚える。真正護憲論は、解釈学としての憲法学という狭い枠組みに収まるものではなく、すでに国法学に到達していることからも分かるように、国家の本能的意志を取り戻そうとする極めて強い志向性に基づいているからである。つまり、国体護持の思想に基づいているのである。この部分を認識できなければ、本当に真正護憲論を理解したことにはならないであろう。

学問・科学はとりわけ客観性を重視する。そして、精密な論理でもって再現性が可能か否かを何度も批判し検討する。憲法学も当然そうであろう。真正護憲論もこの作業を何度も経て今日に至っている。しかし、私はただ客観性を論じるだけでは、憲法を論ずることの意味を成さないものと確信する。なぜなら、もし、憲法を論じる際に、内容及び志向性を排し、単なる客観化だけを求めるならば、それは、結果的に、無機質さだけを後に残すからである。これでは、もはや、現実政治から離れてしまい、浮世離れした無用な客体物を生み出すだけに終わる。

やはり、あらゆる論や説にはそれが生みだされるときに、すでに何らかの思想や意志が存在する。そして、それらが独善的なものにならないために、そして、それをできる限り客観的に再現するために、理論が駆使されるのである。では、真正護憲論の思想とは何か。それは、繰り返すが、やはり、国体護持の思想であり、祭祀の道である。我が国は古より2000年以上も一貫した国体を護持し続けている。そして、この国を護りたいという強い志向性が真正護憲論を生み出したのである。冒頭で述べたように、真正護憲論にはどのような形で接して戴いても歓迎したい。しかし、できることでならば、国体護持と祭祀の道に関心を向けながら、接してもらいたい。

執筆
関西ブロック長 加藤智也 
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No title

たとえば、「文法論」も、客観のみで論じられるわけではありません。

自然科学と人文科学の違いは、その学問の「対象」です。人文科学は「人間の心」を対象とするわけです。

たとえば、天文学が対象にするのは、宇宙という物理的存在です。「冥王星」が「惑星」の地位を格下げされたことは記憶に新しいですが、その際に変化があったのは、観察者である人間側の解釈です。被観察物である「冥王星」は今も昔も変化はないわけです。これが自然科学です。

ところが、「人文科学」は「人間の心」を対象とします。たとえば、マキャベリの「君主論」を読んだ「君主」が、影響を受けて行動したりすることがありうるわけです。つまり観察者が被観察舎に影響を与えることがあるわけです。これが「人文科学」です。

ですから、加藤さんが述べていることは、当たり前すぎると言えば、当たり前すぎることだったりします。

ただ、そのことを「客観化」できないことのエクスキューズにするのは、「男らしくない」態度だと私は考えます。「右翼」的ではない気がします。

No title

人民主権さん

あなたはすぐに「男らしくない」とか「頭がよくない」とか、失礼な言葉を吐く癖があります。それはマナー違反です。私はあなたの人格的な部分に関しては何も言っておりません。個人への失礼な言動を慎んでいるからです。憲法を語る以前の問題です。

私が当ブログで書いたことはおっしゃる通り当たり前の事です。論理とは所詮その程度のものです。証明可能な数学や物理なら別ですが、すべての学問には客観化に限界があります。その中で、自分の主張が暴論にならないように、論理の力を借りるのです。真正護憲論は改憲論などとは異なり、論理性の高い憲法論です。護憲派はそもそも非現実的すぎて、話にならないですけど…。

真正護憲論をどのような形で興味を持っていただいても結構です。それはあなたの自由です。しかし、あなたに祖国愛があるのかどうかは知りませんが、ご自身の立場である護憲派の問題点を不問にして、真正護憲論の些細な部分に拘る行為は動機が理解できません。もし、論理でしか憲法を見れないのでしたら、いつまでたっても噛み合いません。

ついでに、先回あなたが仰った「76条第1項の類推適用は論理的に難しい」とする見解は、問題があると思います。


No title

「ついでに、先回あなたが仰った「76条第1項の類推適用は論理的に難しい」とする見解は、問題があると思います。 」

だったら、私の質問に答えればいいのに。それをしないで、言うだけ番長な態度がダメダメだと思うのですが。

むこうのコメントで言い返せなかったり、自分の無知を曝け出したのを、このような記事で言い訳しているようにしか思えない。

No title

人民主権さん

だから言ったでしょ。私は憲法の素人ですって。だから、「無知を曝け出す」とかっていうよりも、私は自分から「憲法に関しては無知ですよ」という主旨の事を何度も言っているではないですか。

私はこの記事で言い訳をしているのではありません。以前からこのような内容で記事を書こうと思っていました。確かに、あなたの存在が少しくらい念頭にあったことは事実です。ですが、私は真正護憲論以前に「祭祀の心」が大事だって何度も言っています。ここが分からないと、真正護憲論は理解できないのです!!!

それに学問というものはまずは謙虚でなければなりません。だから、私は分からないことは「分かりません。教えてください」と言うのです。

No title

「祭祀の心」が大事なのは、別にいいのです。

ただ、加藤さんは

「ついでに、先回あなたが仰った「76条第1項の類推適用は論理的に難しい」とする見解は、問題があると思います。 」

と書いています。他説について

「ゆがんだ形」「法律の素人でも分かる変な理屈」

とか仰っているわけです。その点について、疑問を呈したら、いきなり「私は憲法のことはよくわからない。」と言いだすのは、少し恥ずかしくないですか、日本男児として。

つーか、「真正護憲論」と言いながら、「憲法について無知」を公言するのはさすがにまずくないですか?
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