スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

家族-その慈しき存在

 核家族化が進むなかで、ともすれば自分勝手な生き方をしている気がしませんか? 例えば、お母さんに「早くご飯を食べに来なさい」って言われて、「まだ、おなか減ってないから、後で」とか言ったことありませんか。私の母(今65歳)が子供の時代にそんなことを言ったものなら、明治生まれの母の父がちゃぶ台をひっくり返して、怒ったそうです。これはただ単にお行儀が悪いとか、無礼とかで怒られただけでなく、家族が一体となって生活をすることの基本、つまり食事を軽んじたからだと思います。この例は、戦前の日本人が家族の大切さを強く認識していたことの証左でもあります。では、日本人の家族への思いとは元来どれほど強いものなのか、南出先生の文章から感じとってみてください。引用します。

「そもそも祖先祭祀の根源とは何か。それは親が子を慈しみ、子が親を慕う心にあります。我々の素朴で根源的な心には、たとえ死んで『から』(肉体)を失っても、その『たま』(魂)は生前と同様に子孫を慈しんで守り続けたいものです。たとえ自分自身が地獄に落ちようとも、あるいは自分自身が地獄に落ちることによって身代わりになれるのであれば、それと引き替えてでも、家族が全うな生活をすることを見守り子孫の健やかなることを願います。そして、子孫もこのような祖先(おや)の献身的で見返りを望まない心を慕うのです。

 死んでも家族と共にある。それが揺るぎない祭祀の原点といえるでしょう。

 子孫が憂き目に逢うのも顧みずに、家族や子孫とは隔絶し、自分だけが天国に召され、極楽・浄土で暮らすことを願うのは『自利』であり、『おや』は、自分さへ救はれればよいとする自利を願みません。これはまさに『七生報国』の雛形です。『利他』の『他』は、まずは家族です。あえて家族から離れさせその絆を希薄にさせる『汎愛(や博愛)』では雛形構造が崩壊してしまいます。家族主義という『利他』を全ての人がそれぞれの立場で実現すれば、世界に平和が訪れることになります。」

 日本人の精神構造の中には自らを顧みず、命を懸けてでも家族を守りたいという気持ちがあるのです。こう思って下さった両親や祖父母、ご先祖様が皆さんにも必ずいるのです。このことへの感謝を絶対に忘れてはなりません。ぜひ、皆さんも神棚や仏壇に毎日手を合わせ、感謝いたしましょう。
            南出喜久治 著 「くにからのみち」120-121頁より抜粋
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。