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江戸と東京の違い=家族的関係の大切さ=

こんにちは 江戸末期に初めて日本に来た外国人の手記で日本を絶賛する記事が多い事や江戸時代はうまくできた循環型社会であったという本が出版されたりしていますね。
南出喜久治先生の 青少年のための祭祀の道にもその記載がありましたので、引用させていただきます。“江戸”と現在の“東京”の違い、家族主義がいかに大事かというお話です。

全文は HPをご覧下さい。 http://kokutaigoji.com/suggest/sg_saishi_h220222.html


<祭祀の道 第10回 祭祀と家族 より 一部抜粋の上、かなを変更しております>
それは、人口と寿命と職業についてです。我が国全体の人口もそうですが、人口が集中した百万人都市の昔の江戸と一千万人都市の現代の東京とでは十倍の開きがあります。また、職業については、現在ほど多種多様ではないとしても、就業率とか失業率について現在と比較して特段に異なる要素はありません。ところが、江戸に限らず、病気や飢饉などの食料事情のため、今よりも人の寿命ははるかに短いものでした。現在の平均寿命が八十歳とすれば、このころはその半分程度です。そうすると、転職、昇進という職業的流動性は現在よりも二倍あったことになります。上役や親方などの職業的上位者が早く死ぬと下の者が昇格するので、その流動性が二倍程度大きかったことになります。死亡で就業できなくなるだけでなく、隠居とか、病気などで就業できなくなることも多く、このことを考慮すると、さらに流動性は高かったと思ひます。すると、九尺二間の住人にも早くお鉢が回ってくる機会が多くなります。つまり、江戸では、貧困層の底上げを円滑にする社会構造が出来ていたのです。その点が現代のように殆ど流動性のない固定的な階層社会とは異なります。そして、九尺二間では住居に密閉性がないことから、そこから脱却したいという向上心を生む気風があり、徒弟修行にも身が入りました。プライバシーが守れない分だけ、「向三軒両隣」の近所付き合いが濃厚となり、地域的な共助も生まれます。しかし、現代の密閉性に優れたワンルームマンションでは、快適さを感じて、そこから脱却したいといふ向上心を奪い、「隣は何をする人ぞ」となって、無縁社会となり地域的な連帯はできません。そのことも大きな違いです。比喩的に言えば、江戸の全体が「共同生活」の町であるのに対し、東京はその全体が「孤立生活」の集積地なのです。
棟割り長屋では、その土地と建物を所有する地主や大家(おおや)が居ます。地主や大家は、管理人である家主(やぬし)を雇って、棟割り長屋の九尺二間を店子(たなこ。賃借人)に貸して店賃(たなちん。賃料)を集金し、その中から手間賃(報酬)をもらいます。これだけなら家主には特段の利益はありません。ところが、家主には、棟割り長屋の共同便所(厠。かわや)の糞尿を売却する権利があります。当時、糞尿は今のように廃棄物ではありません。下肥(しもごえ)と呼ばれる肥料原料で、それを近郊の百姓や取引業者に売って儲けます。それが家主の大きな収入源であり、この家主になる権利も高値で売買されたくらいです。当時の農業では、下肥以上に価値のある肥料はありませんでした。それほど貴重なものでした。いわば、江戸は、下肥の最大の生産地、肥料の供給地だつたのです。それを買い取って池袋などの郊外地の畑に運び、肥壺(こえだめ)に寝かせ嫌気腐敗させて肥料として使ったのです。ですから、下肥は江戸の特産品であり、その商品にも等級があって、値段にも格差がありました。尿や雨水が多く混ざったものは値段が低く、人糞でも、胃腸が丈夫で屈強な男子の人糞は完全消化しているので嫌気腐敗の速度が速いので高い値段がついたのです。
このように下肥を使ふ農法は、戦前まで続いてゐました。ところが、GHQの占領下では、これまで農業で用いていた人糞肥料を禁止し、化学肥料に依存させて、肥料の自給率を極端に下げることになったのです。
ともあれ、池袋などに運ばれた下肥は、良質肥料として野菜を育て、収穫した野菜を持ってまた江戸へ出かけて売りさばいたり、糞尿と物々交換もしました。そして、畑の野菜を収穫した後の残渣(ざんさ)などは小鳥たちの豊富な餌となり、小鳥たちがそれを啄み、ねぐらにしている武蔵野の森や高尾山に帰って、そこに大量の糞を落とします。それが森をさらに豊かにし、水を涵養(かんよう)しそれを江戸へ運びます。そして、棟割り長屋のドフ板の下を流れる生活排水は、江戸湾に流れ込み、食物連鎖によって江戸湾の魚を育て、それが江戸前寿司の豊富なネタになるなど、水と物質の循環が実現していたのです。まさに、ここに「まほらまと」の原型がありました。


<中略>

家族主義なら、他人である隣人もまた、遠い祖先を共通する兄弟姉妹であるとの思いから、助け合い、礼儀を尽くすことが自然にできます。家族内で秩序が必要なように、その雛形として連続している社会内でも国家内でも秩序が必要であることが判ります。棟割り長屋に住む人々が貧しいながらも助け合って心が豊かだったのは、長屋の住人全部が一つの大きな擬似家族になっていたからです。このように、家族、社会、国家への雛形の構造を理解すれば、他人の誰に対しても、卑屈にならず尊大にならず、中庸を心がけて接することができるのです。これも祭祀の実践なのです。
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