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西田昌司参議院議員の記事=新聞 アイデンティティより=



西田昌司参議院議員が 憲法無効についての文章を新聞 アイデンティティに寄稿していらっしゃいましたので、こちらにも掲載させていただきます。

現行憲法無効を共通の認識に

憲法問題の一番の本質は、現行の憲法がアメリカに占領されている間に日本人の意志とは無関係に作られたということです。形式上は明治憲法を改正して作ったということになっています。手続き上は正規の手続きをしたことになっていますが、占領下という事実上日本人の主権が無かった時代に、日本人の意志に反して作られたことは歴史的事実です。このようなものが憲法として有効なはずがありません。従って、先ず、憲法の論議をするためには、改正というよりも現行憲法地震が無効であるということを私達は共通の認識としなければなりません。そう考えますと、改正ではなく自主憲法を作るにしましても、基となる憲法というのは、現行憲法を改正するのではなく、元々私達が持っていた明治憲法(大日本帝国憲法)に戻り、その足らざるを修正していく、そういう手続きを踏まねばなりません。
 しかし、現実にはこの大日本帝国憲法を基にした議論というのは殆どされていません。現在、自民党で新憲法の起草が行われています。本年の4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効日、この日を主権回復の日としようと議論をしていますが、この日に、この新憲法法案を発表することになっています。この議論の場において私は、今の憲法を逐条的に修正するというのではなくて、明治憲法を基にして議論すべきだ、と主張しています。


「明治憲法に自由がない」は誤謬だ

 明治憲法には自由がなかったと思われがちです。しかし、明治憲法におきましても表現の自由や報道の自由も認められています。明治憲法には、第2章において臣民権利義務として第18条から第32条まで揚げられていますが、そのなかで義務は意外にも
第二0条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第二一条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス
の二条だけで、あとは全部国民の権利が揚げられているのです。
 例えば、
 第二八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
 第二九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

 という風に信教の自由も言論や結社の自由も認められています。
 明治憲法においても現在の自由はほとんど認められていました。違うところは、基本的人権の尊重といったような天から生まれながらに与えられている自由とか権利ではないということです。何でも無条件で自由を認められるといった今の憲法とは違う訳です。つまり、日本人の伝統の中で認められていた中での自由であり、権利であったのです。個人の自由や権利が無制限に認められるわけではなく、そのため法律の範囲内という制限が書いてあるわけです。モラルや道徳を前提にした謙虚な精神が明治憲法の中にはあったわけです。

国民から独立自尊の気概奪った現憲法

 ところが、現行の日本国憲法ではそういう考え方がありません。
 第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる。
 と、唐突に基本的人権が天から与えられてしまいました。第12条や第13条によって、これを濫用してはならない、公共の福祉に反しない限り、という制限を一応はつけてはいるものの、権利に対する考え方が全く違います。
 また、日本国憲法には、第三章で国民の権利及び義務として第10条から第40条まで揚げられていますが、そのうちの義務とは
 第26条第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする
 第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
 第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負うふ。
というだけで、国防の義務も無く、事実上納税の義務だけしかないのです。これは、占領下にあっては占領軍が国防を担うからであって、自立を前提としていないからこその規定です。占領を前提の自由とは、サファリパークの中にいる動物のようなものです。しかし、問題は日本人の誰一人、自分たちがサファリパークの中で囚われれの身になっているとは思っていないということです。
 私はそのことが憲法を議論する時の最大の問題であると思っています。つまり、自主憲法を制定するとは、このサファリパークから出て自立をするという意味であるはずです。そのためには当然現行の憲法の有効性を疑うことが必要でしょう。一方で憲法を改正するとは、その言葉の意味としても現行の憲法を見た上でのことになります。サファリパークを捨てて出て行くのと、その錆びついたフェンスを塗り直すのでは全く違います。どちらも、現行の憲法の問題を認めてはいるものの、目指す方向が随分違うことになります。


現憲法の欠陥は九条だけではない

 9条を改正して国防の義務を明示しても、現行の憲法の中にある様々な毒素が我々を蝕み、日本人ならしめることを否定するのです。我々は自らの伝統や歴史を肯定しなければ、日本人になれないのです。そのためには、現行の憲法には何の正統性も無いということを認めることから始めなくてはならないんのです。
 自民党が新憲法を制定したり、石原新党とか大阪維新の会など、いわゆる保守系といわれる方が次々と今の憲法ではおかしいと発言をされています。それは結構なのですが、今の憲法の本当の問題点は先に述べました通り、憲法が制定された手続きを含めてその中に貫かれている精神が、日本人の歴史観や価値観とは無関係であることです。
 そのことをしっかりと見据えて議論をしないと、結果は似て否なるものになってしまうのです。そこをしっかり見極めることが、非常に大事なことになるのです。 (4月10日)


西田議員 アイデンティティ



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