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道義のために道理を糺す

なぜ、改憲ではダメなのか。その理由は多岐に渡るが、まず挙げておかねばならないことは、改憲では真の意味において国家としての道義の回復には至らないからである。国家が存続するためには伝統を踏まえ道理を貫く必要がある。この精神を軽んじて曖昧模糊にすれば、蟻の穴から堤も崩れるかのごとく、たちまち国家は崩れ去る。世界に類例を見ない、2000年以上も続くご皇室をお護りし、一貫した国体を護り続けるには並大抵の覚悟では不可能である。

ところが、こともあろうに、無効であるGHQ製占領憲法を踏襲し、それを改正しようという意見が後を絶たない。このような軟弱行為は、国家と伝統に対する背信行為であり、嘘を嘘で塗り固める邪道に他ならない。これでは、子子孫孫にまで国柄を残すという覚悟と志と勇気が微塵も感じられない。いかにも、自己中に落ちぶれた現在日本人ならでは物言いである。では道義を回復するために道理を糺すとはどういうことか。

それは、
占領憲法の無効を宣言し、帝国憲法の現存を確認することである。何があろうとも国家の道理を糺す!!これが道義国家日本を再興するための我々の覚悟だ。

政治活動に関心のある方、愛国者を自認する方、国家の在り方を説く方…、もう一度、ご自身に道理を糺すという覚悟があるかどうか、確かめて頂きたい。以下、南出喜久治氏の文章を引用した。道義の回復について非常に参考になるので、読んで頂きたい。

≪まず、復元において真っ先に必要なことは、道義の回復である。孔子は、「必也正名乎」(必ずや名を正さんか)として、名(言葉)と實(内容)とを一致させることが必要と説いた。『論語』の「子路編」に、「子路曰、衞君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎」(子路曰く、衞の君、子を待ちて政を爲さしむれば、子將に奚(なに)をか先にせん。子曰はく、必ずや名を正さんか)とあり、孔子は、これに続けて「名不正則言不順、言不順則事不成」(名正しからざれば則ち言したがはず、言したがはざれば則ち事成らず)と説いた。

つまり、五常の一つである「信」は「人」と「言」の合成であり、その字義は、人は言明したことを貫かねばならないことを意味する。この「正名」によってのみ政治や教育や裁判などの道義は守られるのである。それゆえ、占領憲法や東京裁判のように、憲法でないものを憲法とし、裁判でないものを裁判とすることを正さなければ、政治も教育も裁判も歪んだままである。これを指摘したのが相原良一教授であった。

この見解に従えば、現行の「五月三日」の「憲法記念日」は、「国辱の日」と改め、帝国憲法が明治二十三年十一月二十九日に施行されたことを記念して、「十一月二十九日」を憲法記念日と定めることになる。そもそも、占領憲法が憲法として有效であり、帝国憲法の改正であるとするのであれば、占領憲法は、新たな憲法ではなく、単に帝国憲法の昭和二十一年改正法であるから、その改正法施行の昭和二十二年五月三日は改正法施行日であって、五月三日は憲法記念日ではない。有效論者からすれば「帝国憲法改正法施行記念日」(憲法改正記念日)にすぎない。従って、占領憲法有效論であっても、革命有效説などの見解以外の見解であれば、やはり「憲法記念日」は「十一月二十九日」となるはずである。

また、我が国は、「大東亞戦争」という正規の戦争名称をこれまで一度も正式に変更したことがないが、これをGHQのプレスコードによる占領下の検閲によって「太平洋戦争」などと呼称させられることになったものであって、「太平洋戦争」という名称は明らかにGHQによる「検閲名称」である。これを政府が現在もなお踏襲することは、未だにGHQの検閲を受け続けていることと同じである。殊に、「人権」に敏感なはずの左翼勢力などがこの検閲名称を使い続けることは、彼らの人権思想なるもの甚だいかがはしいもので、偽りであることを自白しているに等しい。我が政府による検閲は断固として反対するが、GHQによる検閲は素直に受け入れ、今もなお無条件降伏しているのである。内弁慶というか、長いものには巻かれろとして恭順を示しているのか、いずれにせよ御都合主義のダブル・スタンダードであり、その程度の人権感覚しかないということである。同樣のことは他に幾らでもある。「敗戦」を「終戦」とし、侵略軍を占領軍とか進駐軍としたことなども正さねばならない。勿論、自衞隊の名称も、その階級名称についても、皇軍の正規名称に戻さなければならない。そうでなければ、皇軍としての建軍(創軍)の精神を歪める。

このようなことは、政治や法律の領域だけに限られるものではない。むしろ、文化復興運動、教育再生運動などとしての学際的広がりが必要である。

もし、現状のままであれば、占領憲法第九条違反の自衞隊を合憲であると強弁して開き直るなど、今まで大人たちが数々の言動を行ってきた大部分に「嘘」があるのに、それを自ら正さずして、次の時代を担おうとする子供たちに臆面もなく人の道を説くことができるのか。

この占領憲法第九条と自衞隊との関係は、パチンコなどの遊技場営業者の禁止行為を定めた『風俗営業等の規制及び業務の適性化等に関する法律』(風営法)第二十三条と景品買いの関係に類似している。パチンコの「特殊景品」(金券)を景品交換所で現金に換えることは、同条第一項第一号の「現金又は有価証券を賞品として提供すること。」に違反するにもかかわらず、それを警察の傀儡組織である公安委員会が当然のこととして容認し、プリペイド制の導入による警察利権の温床となっているのである。いわゆる「三店方式」であっても、換金行為が組織的に制度化して換金循環している現状からして、これは明らかに賭博罪であり、それが全国的に蔓延しているのである。

このような違法行為の反復による道義の退廃は、教育の荒廃を招いている。大人の道義が頽廃すれば子供は歪む。国内の乱れは、国際社会にも陰を落とす。未だに敗戦を引き摺り、大東亞戦争後の世界の枠組みから逃れられずに、未来の夢と理想を語ることもできないままでいる。そのためにも、国体護持の大義を貫き、一日も早くこの内憂外患の状況から脱却して国家再興を果たさなければならず、その第一歩として、この復元が必要なのである。

後醍醐天皇が吉野の地で崩御されて建武の中興が花と散ったとき、「たゞ生々の妄念とも成るべきは、朝敵をことごとく亡ぼして四海を泰平ならしめんと思ふばかりなり。」「玉骨はたとへ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ。もし命を背き義を軽んぜば、君も繼体の君に非ず、臣も忠烈の臣に非ず」という帝の最後の綸言を『太平記』は伝えている。そして、帝は「あだにちる花を思ひの種としてこの世にとめぬ心なりけり」(『新葉集』)という御製を遺された(文獻293)。後醍醐天皇は、摂関政治を排除して天皇親政がなされた醍醐天皇の延喜と村上天皇の天暦の御代を理想とされ、御親ら「後の醍醐」と名乗られて、自ら公家政権と武家政権による政治の歪みを糺し、関白や太政大臣を設けず、院政までも排除した天皇親政による理想政治を目指されたが、その道半ばにして崩御された。このことを体すれば、現今において、果たせなかった建武の中興の志の「種」と「心」を育み、継体の君を奉じて忠烈の臣となる道は、一念通岩、一味神水の決意なし、真正護憲論(新無效論)による国体護持運動(祓庭復憲運動)によって「平成の中興」を実現する以外にないのである。≫

【引用箇所】
南出喜久治著 『國體護持總論』第5章

 
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