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日本人と言葉

言葉とはいったい何でしょうか。もちろん、日常生活におけるコミュニケーションの道具であることは言うまでもありませんし、新聞や評論などでは、著者が読者に意図を伝えようとするための媒体手段だとも言えます。

ところが、言葉は必ずしもコミュニケーションや媒体手段として用いられているだけではありません。芸術にもなるのです。歌や文学、詩、セリフなど様々な形で人々の心に感動を与え、美的なものを生み出すことができます。また、ドイツのフンボルトなどのように言語とは民族を表すものだとする主張もあります。確かに、言葉とはその民族のアイデンティティーの証であることは間違いありません。その他にも、言葉について忘れてはならないことは、「話し言葉」と「書き言葉」(文字)の区別があるということです。ヨーロッパでは19世紀まではドイツ言語学で主流であり、文献学的な手法で「書き言葉」の研究が行われていましたが、現在ではそれは影をひそめ、フランス系のソシュール言語学の流れを汲んでいます。この言語学は文献学として通時的(歴史的)に「書き言葉」を観察するのではなく、共時的、すなわち、「話し言葉」の観察を重視するのです。では、日本人は言葉とどのように向き合ってきたのでしょうか。南出喜久治著「祭祀の道」の最新号 「第三十七回 記紀と祭祀」から一部を引用します。

≪古事記は、養老四年(720+660)に完成した我が国の正史である『日本書紀』よりも八年前に成立したとされますが、江戸時代中期には、古事記は元明天皇の勅撰を装った「偽書」であると指摘されたことがあり、今も学問的には決着していません。

江戸時代中期というのは、いわゆる「中世神話」と呼ばれる神話創作時代である平安時代と並び称されるほどの「古典ブーム」の時代でした。実証的な古典研究が極めて盛んであった時代で、殆どの古典に関する研究が深化し、今に通ずる古典研究学の基礎が完成した時代です。古代語の発音における甲類、乙類の音韻体系の研究、一音一義説や一行一義説などによる意義学や言霊研究、梵語(サンスクリット)や梵字に関する研究(悉曇学、しったんがく)とそれによる五十音図の配列、古語の意義の帰納的研究(古文辞学)、数々の擬古物語の創作という文学活動などが隆盛となり、和歌の普及運動と研究活動を通じて、国学や國體思想が深まった時代なのです。

そして、漢字が流入し、その漢字から仮名が生まれたというのであれば、我が国の歴史文化伝統の独自性が保てないとの思いから、漢字伝来以前に神代文字や古代文字が存在したはずだとして、神代文字などを創作しようとする風潮すら生まれました。現に、ハングル文字と同様に、子音要素と母音要素とを合成する文字構造を持った神代文字や古代文字が存在したなどとして、偽文字までが創作されています。その真偽のことは別としても、文字は生活において広く使用されてこそ歴史的文化的な存在意義が認められるもので、歴史的文化的に広く使用されずに極めて限定された世界での秘事秘伝の類となる文字などは、仮に存在したとしても、伝達手段としての「文字」ではなく、単なる歴史的な「遺物」に過ぎません。(続く)≫

全文はこちらをクリックしてください。

南出喜久治著 「青少年のための連載講座【祭祀の道】編 第三十七回 記紀と祭祀」
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