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まほらまとと商人道 =みすまるお話③=



日曜日のブログに引き続き、熊本県護国神社さんを参拝した後でのバスの中で南出喜久治先生にお話いただきました、商人道についてのお話を文字興ししたものを掲載させていただきます。

前回記事はこちら


商売と言うのは最終的にはスーパーのような、商品をぽんぽんとつまんでレジでお金を払うのではなくて、対面商売、つまり、八百屋さんや魚屋さんのようにそのお客さんと売り手と買い手が、面と向かってというのが商売の鉄則な訳で、商売は成りたたない。これはどんな商売にも言えるけれど、今の商売は大量生産と大量消費だからどうしても商売の一番の観点がどうしても欠落してしまう。
今言った近江商人の発想、つまり、足らない所に足らない物を持っていくというのは水が不足している所に遠くから水を運んで売ったとしますね、わざわざ水の無いところに運んできてくれた。本来ならこんな村を捨てて他の村に行って商売をするところを利の薄いこの村にわざわざ水を運んできてくれて助けてくれる。水はそういう意味で利は薄いかもしれないけどそれ以外の物をその商人から買うということもある訳。結局、何かと言うと言い古された言葉なんだけど、商売というのは商品を売るのではなくて、その人間を売る、信用を売る所からスタートしなきゃだめなんで、ある意味でこれは大阪で石田梅山という『石門心学』という商人像を説いた人達がいるんだけど道徳的な発想よりも商売というのは徳が先行してて利が後を追う。変な言い方だけどええ格好する必要ない。ものすごく強欲に構えたほうがいい、身の丈に合う強欲でね。
つまり、これしてなんぼっていう発想は常に持っていたほうがいい。それはどうしてかって言うと、なまじ商売で儲けないというような発想ははっきり言って嘘で、どこかでひずみが出てくる。商売して儲けよ、それをべらぼうな儲け方でなく、普通のなるほどと思うような儲け方をしようと。その時に初めは全く利が薄くてもいい。
信用をどんどん積み重ねていくとその信用はものすごい大きな購買力になるね。だから物を直す、家を治すという人はこれからのまほらまと社会を実現する場合でも絶対に必要な仕事なの。どうしてかと言うと、どうしても修理をする、住まいを直す事は必要になってくる。それが無かったら特に家は維持できない訳でしょ。それに対して、住宅を建てた、古くなったから、全部壊してまた新築というような発想は、非常にもったいない話だし、それをずっと直し続けて同じ所で定着して住んでいくと考えるとどうしてもそれは直すことが必要になってくる。
直すというのはそれぞれの家庭でできる範囲と特殊な技術がいる場合とがある。それぞれの家庭でできないような特殊な部分、或いは、その辺のノウハウを持っているということが信用につながるから、どんどん利が薄くてもお世話をして、商売人の心意気の一つとしては、今は利が薄いけども、将来とんでもない儲けをさせてもらうために、地回りを薄くしているというぐらいのひとつの覚悟、思い、気負いのようなものがあった方がいいんで、何か損して得取れ。だから、得をしない状態をずっと続ける事が今後の大きな得になるという発想でおった方がいいね。それもそんなべらぼうな暴利を貪るのでなくて身の丈の商売をしていけばいい。
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