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まほらまとと商人道 =みすまるお話②=


一雨ごとにあたかかくなると言われる通り、だんだん暖かくなってきましたね。さて、引き続き、うけひのもり学園での熊本護国神社さんへ行った後に南出喜久治先生にお話しいただきました、商人、仕事とは?というお話です。

一辺考えてみると、そもそも商売とはなんやろか?と。
商売っていうのは、特に流通という観点からすると、無いところに無いものを補ってあげる。それが本来の商売のコツで、もともと水が無くて砂漠のようなところと、逆に砂漠化すればするほど、今度は水が貴重品になるから水が商品としての価値がでてくる。
砂漠で住む民がいる、或いは、水の無い所に住む人がいれば水というものは、一つの商品になる。そういうことから言うと、無い所に物を売るという発想は商売の鉄則からすると外れていないし当たり前でしょ。
こういう話がある一方で、京都の呉服屋さんの話としては、京都で呉服を売るというのは、山で柴を売っているような話だと。

京都っていうのは今は違いますけど着物の町で呉服屋がいっぱいある訳ね、着物なんていうのは、消耗品じゃなくてずっと、代々使うものだから、一回買うとなかなか買い換えという事は無い、そうするとほとんどの人が着物をすでに買っている京都で、呉服屋をするというのは、まるで、山の中で柴を束ねて売っているような、柴なんて山ではいくらでも取れる訳だから、そういう有り余った所でその有り余った物を売るというのも、商売として現実に成り立っている。まったく足らないものを補って売るという発想と有り余ってる所で差別化して、付加価値を付けて売るかということは全然逆のようなんだけど、共通するところがあるのね。

商売において、鉄則は何かというと、その商品を売るということになるけれど、商品だけで物が売れるかと言ったらそうとも言えない。
同じような商品でも誰から買うかということもあります。
その商品が一回的によって終わりというような物なら別だけれども、何回も買い続ける、あるいは、長く使い続けて、壊れた時にそれを直す。そういう生活に組み込まれたもの場合は、ただ安かったらいいとかだけとか、同じ値段でもどうするかというとことになってくるとどうしても、人はだれから買うかや買った後、その人にアフターフォローを考えるかになってくる。だから、商品自体が安い高いというよりもトータル的な意味で安いのか高いのかという意味で買う人は決めていく。そうなると売る商品も。例えば水を売るにしてもその水がどんな水なのかわからない。一見して透明な水なんだけど変なものが入っているかもしれない、誰が持ち込んだ水なのか、だれが売る水なのかによってその信用によって、価値が増えてくる。
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