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3月9日 東京大空襲の日 =護るべき日本をもう一度考える=

3月11日の東日本大震災の日の印象が強すぎて、特にかすみがちではありますが、前日3月10日(3月9日未明)は東京大空襲の日になります。

焼夷弾で下町、町工場もろとも焼き払うことが目的でした。
延焼効果の高い風の強い3月10日を選んだ、または日本の陸軍記念日だったからと言われています。

爆撃機には通常の約2倍の搭載量である6トンもの高性能焼夷弾が搭載されB-29が民間人が住む地区 港区、浅草、城東区など下町を攻撃しました。

使用された爆弾は 集束焼夷弾、黄燐焼夷弾。現在では、クラスター焼夷弾と呼ばれ、使用が禁止されている爆弾が投下された訳です。
本来、爆破をする(爆風を作る)のが目的の焼夷弾の構造を少し変更し、市街地で火災が起きるような構造に変更した焼夷弾を投下、更に、アメリカ軍は延焼効果の高い爆弾を開発するだけではなく、関東大震災の際の被害を検証した上で、攻撃したと言われています。被害地域は関東大震災の時と一致していて、爆弾の力がある分、関東大震災の被害を更に上回りました。

攻撃の方法も、武器も日本家屋や人も焼き払うために最適化され、あの写真のような姿に東京はされてしまった訳です。

人々は、火災から逃れようと隅田川の橋や鉄筋コンクリートの学校などに逃げ惑います。しかし、火災は爆弾の勢いがありますので通常の火災とは比較にならない炎が舞い込み、多くの方が焼死、窒息死しました。


風の強い、まだ寒さの残る春先に民間人の住むエリアにわざわざ改良した火が付きやすい爆弾を落とし、全てを焼き尽くす。最近ある、ガソリンをまいて関係のない人までも巻き込む放火事件と変わらないのではないか・・・と思うのです。

この東京大空襲だけで、8万3千人以上の方がなくなられています。この度の震災の被害者が2万人と言われていますので、いかに大きな被害だったかが想像は付きます。
それが、1000年に1度と言われるような自然災害ではなく、戦争で民間人への攻撃を禁じているにも関わらずの空襲だった訳ですから、犠牲者をお祀りする事はもちろん、なぜ、日本がそのような犠牲を出してまで戦わねばならなかったのか?

ご英霊が護ろうとしたものは何だったのか?

この3月10日を目の前にしてもう一度考えたいと思っています。
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