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大東亜大戦は聖戦であった=祭祀、祖先のありがたさ=みすまるおはなし⑩

しばらく間があきましたが、平成21年4月のかへるうぶすな 出版記念講演のお話をUPいたします。
第一回目のお話は こちら 大東亜大戦は聖戦であった ①

宗教が乱立する限り、世界平和は統一できない。それに対して、祭祀というのは戦争の元にはならない。私の祖先、あなた方の祖先、全くこれ他人なんだけど遡ってみて、26代遡ったら祖先の柱の総数は1億3千万人を超える訳でしょ。
そうしたら、必ず祖先共通する部分が出てくるじゃないですか。そうしたら、あなたと私と人類は皆兄弟、誰かが言いましたけれど、あれは別に嘘じゃない。祖先を遡って来ると必ず、我々は何らかの形で枝分かれした一族なんだという自覚が生まれて、いさかいがあってもそれをなくしていこうという気持ちがある。
だからあなたのご先祖、私のご先祖と共通するからお祀りしましょう、それを尊びましょうという気持ちで、お互い共通のご先祖様のある、その人と喧嘩したり戦争するんですか。そうじゃないでしょう。だから祭祀に全ての世界の人が目覚めてくれれば、戦争はなくなるんですよ。

そういう思いで家族、ご先祖を守り、子孫を繁栄させていけば世界の平和はおとずれる。その宗家(そうけ)としての基軸となるのが天皇家なのです。そういう自覚を持たないと。
宗教、仏教徒でもキリスト教徒でもそうなんだけど、尊王を語る中で必ず矛盾するんですよ。
だから最終的には自分のところのご本尊、あるいはゴッドとご皇室のどっちが選ぶか、二者択一すると宗教人であれば、結論は決まっているでしょ、
そうすると尊王思想というのは限定的な思想的アクセサリーにすぎなくなってしまう。我々はそれを生活として血となり肉となりと考えたときに、祭祀の道を基軸として建てて極端に言うならば宗教を捨てて祭祀をとらないと世界平和は実現しないということが僕の結論として、今回出版した部分も含めて、僕の基本的な基軸となる考え方です。

基軸となる考え方として、常に言っているのは本能と家族と祭祀と国体だと、この四つであることを私は言っています。本能というのはそれに対するのは理性です。本能論と理性論です。この理性というヨーロッパの合理主義から脱却しなければだめだという点が一つ。

家族主義ではならない。個人主義ではなくて。今あげたケルト人がそう、ケルト人の財産というのは私有財産ではなくて家産(かさん)家の財産。血統主義に基づく家の財産としての家産主義で、個人には所有権がない。一家にいわゆる家督としての財産がある。そういう形をとらないと個人主義はいくらでも蔓延する。個人に所有権を認めるということはまさに個人主義なんだから家族が崩壊してくる。家族がずっと延々と継続していくものでなければならないので家族主義と個人主義の対立の基軸がある。

それから祭祀と宗教、祭祀と宗教というものは完全に違う。祭祀は宗教の一つではありません。宗教を超えたところに祭祀があります。ですから祭祀主義と宗教主義というものを考えたときにこれも大きな世界の人の目を覚ましてもらう基軸になるだろう。
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