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大東亜大戦は聖戦であった=世界平和の実現は宗教でなく祭祀= みすまるお話⑨

京都での 『かへるうぶすな』 出版記念講演での南出喜久治先生のお話を引き続きUPしています。
昨日までの国土を守るという事から、祭祀・家族のお話についてです。

祭祀と宗教は大きく違う点がありますので、その違いについてのお話から・・・


国土を守るということはただ単に物理的な意味で、自然環境保護団体のように物を守るということではなくて、そこに支えられている精神、そしてその精神が何によって築かれる、構築できるかというとやはり、この第一巻『まほらまと』、第六巻『くにからのみち』でも言ったように祭祀の道しかないように思います。日本ではまだ祭祀の道が残っています。沖縄にも台湾にももちろん韓国にも残っています。東南アジアにもそれなりに残っています。ところがヨーロッパはそうじゃない。ヨーロッパは例えばゲルマン民族も、さらに前のケルト人でも全部、祖先祭祀をずっとしてきた。ところがラテン人が入り、シーザーのガリア人、いわゆるケルト人のことですが、ガリア戦記にもあるようにケルト人を壊滅させ、キリスト教が入ってきて祭祀を否定した。この中でケルト人にしてもキリスト教に棄教するまでのゲルマン人にしても全て祭祀が奪われてしまった。機会があってこの前ヨーロッパに行ってきたけども非常にすさんだ話です。祭祀の欠片が一つもない。パリという町はセーヌ川に流れているシテ島にケルト人が住みついて、そこで繁栄した町なんだけどそれを全部侵略されて滅亡壊滅させられて全く今は面影が一つもありません。つまり祭祀をしてきた民族のかけらが一つもない。そして過剰装飾と石の文化で構築したようなものがあってそして、こけおどしのような文化を作って祖先もなければ子孫もない横並び、親子でも平等、神の元に平等というこの発想が浸透して、家族というものは否定する。
家族を否定すれば個人主義や合理主義が出てくる。この一連の悪の連鎖によって、ヨーロッパははっきり言ってずたずたになっていると思う。これを救うためには本来の祭祀をよみがえらせる、ケルト人の末裔もヨーロッパ周辺にもいるし、ゲルマン人がキリスト教に改宗するまでの人達がいるから、そういう人達と連携をして祖先祭祀の世界が構築できるだろう。
そういう方向に行けば世界は平和になります。これは変な意味での平和主義だというような事を言っているのではなくて、宗教だと必ず戦争になりますから。そうでしょ、宗教は必ずこの指止まれですから。
多神教、一神教だとか多神教は戦争にならないけど、一神教は戦争になる。それは大間違いです。多神教だって、日本で仏教戦争がなかったか?完全にあった訳ですね。仏教が政治勢力を持って戦争になっていた訳、だから仏教は平和で、キリスト教とかイスラム教は好戦的というのは、大間違いで宗教それ自体がこの指止まれなんだから。
要は全て祖先祭祀を否定している訳ですよ。否定していなくても、ご本尊、主たる神、ゴッドが絶対であって、祖先祭祀はしてもかまわないよという主と従の関係で祖先祭祀が中心だという考え方がない。そうすると戦争するじゃないですか、現にイラク戦争はブッシュが言ったけれども新たな十字軍戦争だと言った。そういうことを考える合わせると、全ての戦争は確かに底辺においてエネルギー戦争とか食料戦争とかありましたが、ほとんどの戦争が宗教的な戦争です。宗教は戦争の元なの。この指止まれで、指に止まらなかったら殺す。止まった人は保護しますよ。聖書にも書いてある。
そういうことから考えると宗教というのは決して世界平和を実現するものではない。宗教によって統一されれば、世界平和は実現するかもしれない。
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