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大東亜大戦は聖戦であった=天皇の名において職務を全うする事= みすまるお話⑧

引き続き平成21年4月の 國體護持總論 かへるうぶすな 出版記念講演 での 南出喜久治先生のお話をUPします。前回までに引き続いて、大東亜戦争直後の食糧難の時期に餓死された山口判事のお話から、殉國の方々のお話です。


山口良忠判事が亡くなった一つの考え方として、犬死にだとかいろんなこと批判もあります。そういう批判があることは分かっています。その犬死にだと言った人は自分がそれが出来るかという事を自問自答すべきなんだよね。

つまり当時、満33歳で亡くなっている。今の裁判官で33歳ぐらいの裁判官でそれだけの気概を持った裁判官は本当にいるか。裁判官だけでなくて、検察官、法務員にしたって、他の日本人全員がそういう気概を本当に持ち続けているかというとまったく疑問です。そうことから考えると、当時、司法権を担う裁判官というのは帝国憲法にどう書いてあったか、
帝国憲法の57条には、司法権とは天皇の名において法律で裁判するという表現があった。

天皇の名において。山口判事は天皇の名において、もし自分が闇米を食らいつつ闇米の摘発で刑事罰を科す裁判官になるということは天皇を辱めることだという思いがあったと思います。今占領憲法(日本国憲法)なら良心に従っていうことだから、好きにせえよということになるんだろうけれど、あの当時の判事というのは全て、例えば法廷だって今の裁判所というのは、法廷には何もなくて殺風景なものでんですよ。昔の法廷は必ず菊花御紋章がどんとあったんだ。

つまり、天皇の名において裁判するということが徹底して、判事もその自覚でしてきたんだから。山口判事はそういう思いがあって、自分自らの職責を汚すということはお上に申し訳ないという思いがあったと思います。そういう形の覚悟の死で、尊皇殉国の人なのです。

その尊皇殉国の人をもう一つ例をあげるならば山口判事の死からさかのぼること半月前の9月25日に清水澄博士が熱海の錦ヶ浦に投身自決しておられる。
清水澄博士と山口判事、二人の死というのは基本的には尽忠報国というか尊皇殉国というような死ではなかったかなというように思います。

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