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大東亜聖戦は聖戦であった=防衛に真に必要なもの= みすまるお話④

昨日に引き続き 一昨年の春 國體護持総論 『かへるうぶすな』 出版記念講演の際の南出喜久治先生のお話をUPいたします。


今村均大将のラバウルでの戦法というのは遡ること50年前に一言でいうと神風連の乱(敬神党の乱)というのがありました。本居宣長の系統を踏んだ国学者であるところの林櫻園(はやしおうえん)という人が率いた、思想集団ですけれども、太田黒伴雄とかいう人たちによって起こった、神風連、敬神党の乱についてはちょっと省略しますけれども、実際の精神的な基軸支柱となった林桜園という人は明治3年に東京に行っているんですね。有栖川宮殿下らに拝謁して国策で自分の基本方針を言上してる。
日本は開国した。今からでも遅くないから鎖国すればいいと、必ずそれで外国が攻めてきたとしても絶対勝てる、それまでのいわゆる尊王譲位論というのは外国の黒船を見て日本は支那や東南アジアのように次々と植民地になるという脅威から、開国して自らも富国強兵政策的に進めようと考えてましたよね。今もドラマの中で海軍、陸軍をもっていく。僕は大嫌いなんだけど、司馬遼太郎の竜馬の問題とかいろんな問題があって、要は、勇ましい方法、軍を持ってどんどん富国強兵をしていくということがいかにも国防であり、日本人の魂であるように言っていたけれど、林桜園という人はまったく逆のことを言っている。元寇、モンゴルが攻めてきた時だっていろんな勝因があるのだけれども、実際のところ何かというと、モンゴルは兵站が続かないから敗退したのです。攻めて来ても内地戦になればゲリラ戦で全部駆逐されてしまうからいったん船に戻らざるをえない。現地で食料調達がモンゴル軍はできない。食料事情も違う、何が食べられるか分からない。食料研究を全くしないで、ただ単に軍事力で攻めてくれば日本は制圧できると出てきた国だね。

日本で地上戦であれば、夜間になってゲリラ戦ができる、そういう戦いをしてきたので、常に夜になればモンゴル兵は海上に停泊している船に戻った訳、そういう形の攻め方をしているものだから、そのうち船に積み込んでいる食料は枯渇してくる訳だからどうしても敗走せざるを得ない。風が吹いて沈没しようが何しょうが、それは因果関係の問題であって、結局のところ撤退せざるを得ない宿命にモンゴル軍はあった。モンゴルの兵といったって、これは高麗軍だけれどもね。高麗軍の水兵の操縦する船に乗って船にひきこまらなくては仕方がないじゃないですか。それと同じことを林桜園は言った訳です。つまり、いくらアメリカ、イギリスの艦船が攻めてきたとしても、そもそもアメリカが開国を迫ったのも今では変な話で鯨の油を取るために港を開けと来た訳で、それが今鯨を取ってはいかんと大騒ぎしていますけれどね。いずれにしても鯨の油を取りたいために、開国を迫ったアメリカが、港がなかったら、船でひきこまらなくては、仕方がないじゃないですか。上陸をしようとしても、夜間にどこかに野営をしようとしても、そこで夜襲をかけられたら全滅するんだから、絶対に負けない日本は。勝つことはないかもしれないけれど、負けない。来るなら来いと内地に引き込んで殲滅(せんめつ)するんだと。そういう作戦を立てれば日本は勝てるから外国の言いなりの開国をする必要はない、むしろ外国を利用して技術を導入して、自給体制を確立した上で、日本は戦える国になるべきなんだと。
軍隊の中でも海軍にあまり重きをおかなかった、今となってはもちろん海軍という意味あいも当然、必要になってくるんだけれども、まず防衛というのは、自給自足体制を確立することからスタートしなければならないということを林桜園は言った。

その林櫻園、明治3年の登場以来、日本は文明開化の名のもとに欧米化を進め、自給率を下げてきて、大東亜戦争に至った。
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